DO訴訟・第5回裁判報告
「被告側準備書面」
平成10年(ワ)第12874号
準 備 書 面
原 告 株式会社 カプコン
他 4 名
被 告 株式会社 ド ゥ ー
平成11年1月26日
東京地方裁判所
民事第46部B係 御中
記
第一、「映画の著作物」とは。
一、 著作権法は著作物として「映画の著作物」を例示している(第10条1項7号)
しかし、「映画」の定義は与えられていない。
このことは社会理念として一般的に認識されていた「映画」なる概念を前提として立法されたものと解される。
そうであるとすれば、「映画」とは影像をフイルムに連続的に印画して、これを光学的にスクリーン上に映写して再現して鑑賞出来るものが予定されていたことは明らかである。それ以外のものとしてはフイルムに代わって磁気テープに電気的に録画された映像を電気的に再現させるビテープまでが予定されていたものであろうことも肯定されるところである。それらの中で同法第2条1項1号の要件を満たすものが同法による保護の対象となる「映画の著作物」である。
二、 同法第2条3項によれば「映画の著作物」と云えるためには、「映画」の効果を保有することが要件とされている。映画の効果とは、視覚的又は視聴覚的効果を生じさせるものである。映像と音声によって思想又は感情を表現したものであることになる。最も端的には劇場用映画がその典型的なものである。
ここで大事なことは同法の予定している「映画」は、終始、連続した映像と音声又は映像によってそれを鑑賞する。あるいは鑑賞する者に対して視覚的に又は視聴覚的に映像をもって、思想又は感情を創作的に表現したものを一方的に能動的に与え続けるものであり、他方その効果の受け手である鑑賞側は、その効果を受動的に受け続けるのみである。そこに「映画」の特徴的特色があるのである。
第二、映画の著作物の保護の趣旨
一、「映画の著作物」については、上映権と頒布権が認められている。
これは同法が映画フィルムの頒布実態に即した保護を計ったものである。
特に映画フィルムに経済的効用が発揮されかつ物的価値が高いのは、映画フィルムの場合は、原告も認めているように一本の映画フィルムがロードショー館(封切館)から同系列の二番上映館、更には三番上映館等へと順次配給され上映される頒布実態を持っている。この実態によれば、需要を満たすためのその複製フィルムの本数は、映画館の系列数だけで足りることになってしまい、多くとも精々その本数プラスアルファー程度で需要を満たしてしまう結果になる。その結果、最初に譲渡する際の一回的対価回収の機会だけでは、その対価が高額になり需要を満たすのに困難を起こすことになる。ところが、一本のフィルムによって繰り返し投下資本回収の機会を与えれば、供給者側も最初の投下資本を抑えることが出来て、供給が容易となり、受給社側も作品の当たり外れによるリスクの負担が軽減回避出来ると云う、供給と受給の関係の経済的均衡からである。
二、 著作権法の云う「映画の著作物」は劇場用映画に限られるものではない。
例えば個人的ビデオであっても16ミリフィルムであっても他の要件を満たせば映画の著作物に該るが、しかし、かかる映画は、一般的には個人的観賞の域を出ず、経済的行為としての無視するに足る範囲である。
何よりも頒布権が「映画の著作物」に限って認められ法的保護の対象となっているには、その頒布の実態に所以しているのである。
第三、本件ゲームソフトは「映画の著作物」か
一、 ゲームソフトが、思想又は感情を創作的に表現した文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものかどうかについては疑問がある。ゲームソフトは、電子計算機を機能させて、一つの結果を得ることができるように、これに対する指示を組み合わせたものとして表現したものである。このソフト自体は同法第2条1項10の2に規定する「プログラム」である。同プログラムに組み合わされた指示を作動させて、その一つの結果としてのゲームを実際に行う場所あるいは手段としては、現在はディスプレイが用いられる。同プログラムをCD-ROMを媒体として磁気的にあるいは電子的に記憶させたものが、市販されている「ゲームソフト」である。
二、 CD-ROMに記憶されたゲームソフトは、所定の操作機器を用いて、プログラムの指示を選択してディスプレイの画面に影像として映し出すことによって一つの結果を表現させる仕組である。しかし、操作機器を作動させれば、映画やビデオのようにゲームが進行する仕様ではない。ゲームソフトを作動させる為には、ゲームソフトのユーザーが操作機器を自ら操作して、CD-ROMに記憶されている一つの結果を得ることが出来るように組み合わされた事例を選択することによって初めて作動する。それに対してそれに対応する指令を電子計算機自身が選び出して必要な動きを行う、これに対してユーザーが改めて指令の入力をする、この連続によって、そのソフトが予定するゲームの進行が計られる仕組になっている。ユーザーが操作を中止すれば、ゲームオーバーになってしまうのである。
「映画」のように著作者側が思想又は感情の表現の供給者となり、他方がその受給者となって、著作者の創作にかかる著作物をただ受動的に視覚的に又は視聴覚的に鑑賞・観賞すると云う映画とはその相を異にしているのである。
三、1.ゲームソフトは、電子計算機を機能させて一つの結果を得ることが出来るように、これに対する指令の組み合わせの集積されたものであり、同ソフト自体は著作権法第2条1項10の2に定める「プログラム」そのものである。
同ソフトで予定されている指示を操作して一つの結果を出すためには所定の機器が必要であり、現実にプレーを実行する方法は、ディスプレイの映面上に映る影像としてである。
所定の機器を操作させるために「プログラム」を固定させる媒体がCD-ROMである。
2.ゲームソフトのプログラムを電子的に固定させた媒体が、いわゆる「ゲームソフト」として販売されているCD-ROMである。
3.ゲームソフトは、所定の機器をユーザーが操作して一つの結果をディスプレイ上に映すことにより行われるが、その映像はユーザーの選択する指示に応じて電子計算機に組み合わされた電子的信号が機械的電子的に作動する結果にすぎない。その電子的信号の組み合わされ集積されたものがゲームソフトである。同ソフトにより演じられるゲームは、同ソフトによって予定された電子信号の機能した結果にすぎず、それをもって思想・感情の表現とはとうてい云い得るものではない。したがって、ゲームソフトのCD-ROMをもって「映画の著作物」とはとうてい云い得ない。
ゲームソフトが映画とは別異のものであると云う解釈は、社会一般通念にも合致するところであり、ゲームソフトは映画であるとする感覚は間違いなく一般社会通念に反するところである。
四、ゲームソフトは映画と違い、不特定又は特定多数の者が同時に使用することを予定していないし、機能的にも困難である。ユーザーとゲームソフトの画面上の画像との対峙を前提としている。
したがって、ゲームソフトのCD-ROMは需要家数だけの需要が見込めるから評判の作品であれば何十万枚と云う売上が上げられて、投下資本の一回的回収は需要家に過大な負担を強いることなく容易なのである。
原告らメーカー側の云う採算性は、作品の善し悪しにかかっているのであるって、著作権法の問題の埒外の問題である。
五、以上のようにゲームソフトは、CD-ROMに化体されたプログラムそのものそれ自体が著作権法第10条1項9号に云う「プログラムの著作物」であって、「映画の著作物」とは別異に同法の保護の対象となる著作物であるのである。ゲームソフトは、「映画の著作物」とはその本質を異にするものであり、「映画の著作物」には該らないのである。
第四、以上ゲームソフトは、「映画の著作物」には該らないと解すべきであるから、原告の主張は理由がない。
なお、ゲームソフトの商品としてのCD-ROMの包装上に中古販売禁止の但し書きがあることは認められるとしても、それによって「映画の著作物」性が付与されるものではなく、同表示は別途不正競争防止法上の問題である。
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