中古ソフト問題・東京訴訟
「第二準備書面」


平成一〇年(ワ)第二二五六八号
 著作権に基づく差止請求権不存在確認請求事件

原   告  株式会社上昇
被   告  株式会社エニックス

  平成一〇年一二月二二日

右原告訴訟代理人
 弁 護 士   椙  山  敬  士
 同 藤  田  康  幸
 同 小  川  憲  久
 同 吉  田  正  夫
 同 藤  本  英  介
 同 中  野  通  明
 同 小  倉  秀  夫
 同 岡  村  久  道
 同 木  村  圭 二 郎
 同 北  岡  弘  章
 同 錦        徹
 同 神  頭  正  光
 同 志  村     新
 同 濱  田  広  道
 同 鈴  木     誠
 同 杉  浦  幸  彦
 同 大  土     弘
 同 岩  崎     晃
 同 権  藤  龍  光
 同 追  川  道  代

東京地方裁判所民事第四六部B係 御中
 

第 二 準 備 書 面


第一 「中古販売業務の不当性」の不存在

 一、はじめに

1、ゲームソフトの販売店が中古品を取り扱うことを禁圧しようとする人々においても、中古品販売一般を非難し、禁圧しようとまではしていない。そこで考え出されたのが、「デジタル著作物は劣化しない」という論理である(なお、いうまでもないことであるが、「映画の著作物」に頒布権を付与した著作権法第二六条は、映画が「デジタル形式で記憶されており劣化しない」から流通を支配する権利を配給会社に認めたのではない。)。この論理は、次のような構造を持っている。

(1) デジタル著作物は劣化しない。
(2) デジタル著作物においては、新品も中古品もユーザーからみた値は同一である。
(3) デジタル著作物においては、新品と中古品とは、価格面で競争するより他にない。
(4) メーカーは開発コストを製品価格に乗せることで負担しなければならないのに対し、中古販売業者は開発コストを負担する必要がないから、価格という点では、新品は中古品に太刀打ちできない。
(5) 中古品が市場に流通するようになると誰も新品を購入しなくなる。
(6) メーカーは開発意欲を失う。
 
(7) 新品の値段が極端に高くなる。

2、しかし、これが机上の空論に過ぎないことは、誰の目にも明らかである。デジタル著作物の代表である音楽CDについていえば、音楽CDが広く流通するようになった当初から現在に至るまで、音楽CDの中古品は広く売買されている。しかし、正規の値段でパッケージ製品を購入する者がいなくなったとか、製品の値段が極端に高くなってしまったなどの事実はない。むしろ、音楽がアナログ式のレコードで流通していた時代よりも多くの枚数が売れるようになっているのである。

3、右の論理にはどのような誤りがあり、その結果としていかに現実と乖離した結論が導出されることになったのかを、以下検討していく。

 二、「デジタル」と劣化

1、例えば、本件と同様に中古ゲームソフトの販売が問題となっている大阪地方裁判所平成一〇年(ワ)第六九七九号事件(以下「大阪訴訟」という。)において同訴訟原告は、「請求の原因」四として、
 「繰り返し使用された中古品であっても劣化がなく、新商品と同様にゲームを楽しむことができる」という「(アナログではなく)デジタル方式にてCDーROM等の媒体に固定」されている「ゲームソフトの性質を利用して、中古販売業者は、消費者等から購入した中古品を新品と同様の品質を有するものとして販売することになる」と主張している。
 「ゲームソフトは劣化しない」とか「デジタル著作物は劣化しない」という言い回しは、非常に多義的であいまいである。「媒体は物理的に劣化しない」という趣旨にも取れるし、「媒体に記憶されている情報自体は劣化しない」という趣旨にも取れるし、「媒体に記憶されている情報の商業的価値が衰えない」という趣旨にも取れなくはない。大阪訴訟において同訴訟被告らはこの点を明らかにするように求釈明を行ったが、同訴訟原告はいまだ釈明に応じていない。

2、本件で問題となっているプレイステーション用ゲームソフトについていえば、媒体であるコンパクト・ディスクは、ポリカーボネートというプラスティック素材による薄型の円盤に、アルミニウムを蒸着させて反射膜を付したものである。その反射膜に「ピット」と呼ばれる穴を刻むことによって二進数の情報を記憶させる。そして、情報の受け手は、ディスクの記録面にレーザー光の焦点を合わせるとピットの有無によって反射光量が変化するので、この変化を検出することによって、コンパクト・ディスクに記憶された二進数の情報を読みとるのである。
 基盤であるポリカーボネート自体は耐久性・耐熱性に優れている(といっても、半永久的に劣化しないものでは勿論ない。)が、肝心の情報が記憶されているアルミニウムの反射膜は傷や摩耗に非常に弱く、安定性も高くはない。そのため、通常の用途で使用され、あるいは通常の形態で流通におかれた場合、情報媒体としての用に耐える期間の平均は、書籍等と比較して決して長いとはいえない。書籍等の紙媒体の場合その一部が損傷してもそれなりに情報媒体としての用に耐える(平たくいえば、一部欠損していても欠損部分以外は読むことが可能である。)のに対し、コンパクト・ディスクの場合、その一部分が読み取り不能な程度に損傷した場合、当該部分を超えて情報媒体としての機能を果たさなくなる場合が多い(その場合、商品価値はほぼゼロになることが多い。例えば、ゲームがあるところまで進行すると必ずデータ読みとりエラーを起こし、そこから先に進めなくなる商品を誰も買う気にはならない。)のであるから、媒体としての寿命はコンパクト・ディスクの方が短いとすらいえる。
 実際、エンドユーザーから中古販売の店舗に持ち込まれるCDーROMのほとんどには大なり小なり傷が付いており、その約一割は中古品としての使用に耐えないため中古販売店は買い取りを拒まざるを得ないのが実状である。そのため、一枚のCDーROMが市場で回転する回数(一旦ユーザーの手に渡った商品が中古品として販売される回数の平均。シリアル番号ごとに流通販路等を調査した報告書等が公表されていないため、「中古品の販売枚数」÷「新品の販売枚数」という計算式で推計した。)は平均約〇・四回(データはゲームソフトメーカーを中心メンバーとするCESAの九八年版白書による)と低く、自動車等の平均回転回数を大きく下回っている。大阪訴訟原告らは、「このようにして一旦販売された中古品も、次の消費者がエンディングに到達する等一定期間利用した後は、再び中古販売業者に買い取られることになる」と主張している。しかし販売店と消費者との間を複数回循環するようなディスクは決して多くはない。まして、半永久的に循環するなどということはあり得ない。「ゲームソフトは劣化しない」と強調することによって、ひとたび流通におかれたCDーROMが販売店と消費者との間を半永久的に循環するようなイメージを抱かせようというのであれば、ミスリーディングなものであるといわざるを得ない。
 したがって、「ゲームソフトは劣化しない」というのが「媒体としてのCDーROMが物理的に劣化しない」という意味であれば、それは明らかに間違っている。

3、「デジタル方式の場合、データが劣化しない」といわれることはある。しかし、それは、データを複製する場面での話である。すなわち、アナログ式データの場合、複製に際してノイズの混入等によりデータが変質していくことが避けられないから、例えばAからBを複製し、BからCを複製し、CからDを複製し…と複製を繰り返していくとしまいには元のAというものとはかけ離れたデータが作成されるようになっていくのに対し、デジタル式データの場合、複製に際してノイズが混入するなどしてデータが変質するのを極力抑えることができるため、複製を繰り返しても元のデータとほぼ同一のデータを作成することができるのである。
 このようにアナログ式データとデジタル式データの違いが顕在化するのは、子コピー、孫コピー、曾孫コピーというように順次複製がなされていった場合のみである。オリジナルを利用したり、譲渡したりという段階では、アナログ式データとデジタル式データとの間に何ら異なるところはない。中古販売店は、ソフトメーカーが流通においたゲームソフトを自らコピーして消費者に販売しているわけでもなければ、ゲームソフトを消費者に貸与した上で消費者にコピーさせているわけでもないから、「複製の際にデータが劣化しない(しにくい)」というゲームソフトの性質を利用して中古品を販売しているわけではない。したがって、ゲームソフトがデジタル形式で媒体に記憶されていることによって「複製の際にデータが劣化しない(しにくい)」という性質を持っているからといって、ゲームソフトの中古販売について、他の著作物の中古販売とは異なる取り扱いをしなければならないとする理由はない。

4、更に、ここでいう「劣化」が「商品としての市場価値の劣化」をいうのだとすると、「ゲームソフトはデジタル著作物だから劣化しない」というテーゼは全くの誤りであるといえる。書籍や絵画、建築物などには、何百年、何千年とその価値を保つものがある。例えば、紀元前に創作された「論語」や「史記」は、二〇〇〇年以上を経た現代においても、その価値は色褪せることなく存続し続け、新たなコピーが出版社により製作され続け、新たなる読者に購読され続けている。クラシック音楽は勿論、大衆音楽にしても、ビートルズやチャック・ベリー、美空ひばりに代表されるように、数一〇年もの間、高い市場価値を持続しているものは少なくない。劇場用映画にしても、「カサブランカ」や「市民ケーン」等は今でも頻繁に上映、鑑賞されているのである。
 しかし、ゲームソフトの商品寿命は著しく短い。家庭用ゲーム機用ソフトの先駆けである「テーブルテニス」は勿論、ファミリーコンピューターを一気に家庭普及させる原動力となった「マリオ・ブラザーズ」や「スーパー・マリオ・ブラザーズ」等で遊んでいる子供たちを見かけることはもはやない。もちろん、これらはソフトを動かす機械自体がもはや入手困難なのであるが、社会現象にもなった「ドラゴンクエストW」、プレイステーションの黎明期のキラーソフト(特定のハードウェアの販売の原動力となるソフト)である「レッジレーサー」ももはやその市場価値は風前の灯である。

 三、中古ソフト撲滅の経済的効果

1、「中古品」を「一度ユーザーの手に渡った物」という意味に捉えるならば、中古品だからといって、言い換えれば、一度ユーザーの手に渡ったからといって、そのことから直ちに従前と同様の利用ができなくなるというものはほとんど存在しない。書籍しかり、絵画しかり、レコードしかり、音楽CDしかり、ビデオしかり、写真集しかり、建築物しかりである。この点に関しては、情報がデジタル式で記録されているかアナログ式で記録されているかによって何ら異なるところはない。しかし、書籍にしても、レコードにしても、音楽CDにしても、ビデオにしても、写真集にしても、建築物にしても、中古品市場と新品市場は併存している。中古品市場が栄えているから新品市場が衰弱するとも、中古品市場を撲滅すれば新品市場が栄えるとも考えられてはいない。

2、書籍にしても、レコードにしても、音楽CDにしても、ビデオにしても、写真集にしても、建築物にしても、中古品よりも新品の方が値段が高い(レアものを除く。)。しかし、これらの著作物についていえば、程度の差こそあれ、商品の流通は新品を中心として行われている。新品も中古品も全く同じように利用できるのに、人々は新品を中古品よりも高い値段で購入するのである。それは、「新品である」ということに人々が記号的な価値を見いだしているからである。「著作物を利用する」、「著作物から情報を入手する」という観点だけから見れば、「一度もユーザーの手に渡っていない」ということはさしたる意味を持たないが、実際には多くの消費者は、余計な費用を費やしてでも「一度もユーザーの手に渡っていないもの」を欲するのである。

3、逆に、消費者が中古品を購入する場合とはどういう場合であろうか。新品を入手できない場合である。ここでいう「新品を入手できない」には二とおりの意味がある。
 一つは、当該商品の新品が市場に出回っていないため手に入らないという意味である。廃刊となった書籍や廃盤になったレコード、製造中止になったゲームソフト等がこれにあたる。
 一つは、当該商品の新品が市場に出回ってはいるが、当該消費者にとってのそのゲームソフトの主観的価値に見合う価格では入手できないという意味である。要するに、当該消費者にとって新品の価格が高すぎる場合である。

4、ここで、消費者にとってのゲームソフトについての主観的価値がどのように決まっていくのかということを検討する。基本的には、そのゲームソフトに対する評価とその媒体の状態に対する評価とゲームに費やす金銭的余裕等を変数として絶えず揺れ動いている。
 ゲームソフトの場合、新製品の発売当初は、ソフトメーカーのブランド力と広告宣伝力とゲーム雑誌等のレビュー記事における評価等によって形成される「前評判」を基底として、消費者にとっての主観的な評価が形成される。新製品の発売当初は、これに「周囲の人に先駆けてそのゲームをプレイする」ことの満足感が、一定の消費者にとっての主観的価値を押し上げることになる(この価値上昇は、いわゆる「ヘビーユーザー」と呼ばれる消費者ほど大きい。)。
新製品の発売後しばらくすると「周囲の人に先駆けてそのゲームをプレイする満足感」というプレミアムは消滅する。そのかわりに、すでにそのゲームをプレイした人々からの評判が口コミやインターネット等を通じて人々の間に広まる。その結果形成される「評判」が、今度は消費者にとっての主観的評価の基底となる。この「評判」が高ければ高い値段でも売れるし、低ければ安い値段でなければ売れない。

5、しかも、この主観的評価は、他のゲームソフト等や他の娯楽との相対評価で消費者の購入希望価格と結びつく。すなわち、例えば、面白い(面白そうな)新作ソフトが発売されると、多くのユーザーはより面白い(面白そうな)ソフトの方により強い購入意欲を持つことになる。その結果、ユーザーからの主観的評価が相対的に低いソフトは、相対的に高いソフトよりも、安い値段を付けなければ売れなくなるのである。

6、多くのゲームソフトは、新発売からある程度時間が経つと、極端に売り上げが落ちる。しかし、それは、中古ソフトが流通するようになったからではない。新発売後徐々に消費者の購入希望価格が下落しているにも関わらず、メーカーが定価を下げないため、ある程度時間がたつと、購入希望価格が定価を下回ることになるからである。「いつまでたっても定価を下げない」というメーカーの姿勢が変わらない限り、「中古ソフトが撲滅されれば、新品ソフトの売り上げが急増する」ということはない。

 四、投下資本回収論

 ゲームソフトメーカーは中古ソフト市場がこのまま続けば、「開発資金を十分に回収できず、新作の開発が滞る」とし、「ゲーム業界の健全な発展を著しく阻害している」などと主張している。
 しかし、さまざまな製品の中で、開発資金が十分に回収できることが保証されているものは存在しない。たとえば、開発費用がゲームソフトとは比べものにならないぐらい膨大な自動車でも薬品でも、市場から必ず開発資金が回収されるとは限らない。
 要は、売れるかどうか(売れて、開発資金を十分に回収できるかどうか)は、製品の品質・性能・価格などを考えて、消費者が購入してくれるかどうかによるのであり、基本的に消費者の判断に委ねられているのである。市場経済を前提にするかぎり、このことは争いようがない。
 また、そもそも流通業者が開発費用を負担する業界など考えられないのであって、流通業者が開発費用を負担しないのでメーカーが価格競争で流通業者に負けてしまう、といった議論は到底成立し得ないのである。

 五、中古ソフト売買と新品ソフトの価格

1、中古ソフトを撲滅できなければ、メーカーは新品の価格を高くしなければならなくなるとする見解がある。例えば、近藤剛史「情報化社会における著作権と契約法理」パテント一九九八年五月号七六頁以下は次のようにいう。
 「しかしながら、経済的合理性(効率性)あるいは立法論的な見地から考えた場合、ある者は正規に代金を支払ってパッケージ製品を購入したにも拘わらず、他の者は全く同じ品質の製品(デジタル情報であるから品質は劣化せず、リセールバリューは正規の値段とほぼ同じ)を、より安価で製品を購入し、さらに他の者が再び安い値段で購入し、このような循環が理論上半永久的に続いていくと考えた(製品寿命を度外視した)場合、どういった均衡点に収斂していくことになるでしょうか。おそらくゲームの理論でいうところの「囚人のジレンマ」と呼ばれる状況に限りなく近づいていくことになります。すなわち、消費者が合理的に行動しようとすればするほど、正規の値段でパッケージ製品を購入する者がいなくなり、製品の値段が極端に高くなってしまうという状況となり、結局誰も得をしない状況、つまり社会的厚生が達成できないということになってしまいます。逆に、違法複製物が世の中からなくなり、再売買が行われなくなるとするならば、より良い製品がより安価で消費者に供給されるという市場(market)を生み出すことができ、資源の最適配分という点から考えると優れていると言えることになります。」

2、一般に「囚人のジレンマ」というのは、「二人の囚人が、別々の監房に入っていて、互いに連絡が取れない状態にあるとする。有力な物証に乏しいので、二人とも黙秘を貫けば二人とも無罪になる。しかし、一方が自白をしてしまうと、自白をした囚人は情状酌量により二年の懲役刑が下され、自白しなかった囚人は情状酌量がなく五年の懲役刑が下されてしまうことになる。このような場合、客観的には二人とも黙秘を貫いて無罪放免を得ることがベストなのだが、相手方が黙秘を貫いているかどうか判らないために、結局客観的にはベストでない「自白」という選択をしてしまう。」といった内容をいうのであり、近藤論の挙げているケースと「囚人のジレンマ」とは関係がない。そのことはひとまず措くとしても、近藤論文は、(1)「製品寿命を度外視」し商品の循環が半永久的に続いていくこと、(2)中古品のリセールバリューを新品のそれとほぼ同じとしていること、などの全く非現実的な仮定を前提に議論を組み立てており、現実味のある議論ではない。CDーROMに記録されている音楽データをMD等にダビングすればもとのCDーROMは用済みとなってしまう音楽CDの世界ですら少数のパッケージがたくさんのユーザーの間を何回も何回も循環することにはなっていない。まして、もとのCDーROMを保持し続けなければプレイできないゲームソフトの世界では、少数のパッケージがたくさんのユーザーの間を何回も何回も循環するような状態にはなり得ないのである。

3、また、新品ソフトが、その値段の高さ故に多くの消費者に受入れられないときに値段を上げれば、さらに消費者から見捨てられるだけである。ゲームソフトは娯楽品であり、生存のためなくてはならないものではないから、消費者が到底つき合いきれないような高い価格をメーカーが定価として設定してきた場合は、消費者はゲームソフトを購入して遊ぶことはあきらめ、他の娯楽を選択するだけのことである。高すぎるから売れないのに、売れないからといって値段を上げるならいっそう売れなくなるのは自然の理である。
 日本国内においてソフトメーカーらが声高に「中古ソフト撲滅運動」を行った平成一〇年、日本ではゲームソフトの売り上げは初めて減少に転じたのに対し、「中古ソフト撲滅運動」など見る影もないアメリカにおいてゲームソフトの売り上げは大幅に伸びている。このことは、近藤論文による右議論が現実性の乏しいものであることを如実に表しているといえる。

 六、新作ソフトと中古ソフトの補完関係

1、ゲーム専門店が中古ソフトをも扱うことによって、ソフトメーカーは多大なる利益をこれまで受けてきた。両者は相互に補完しあう関係にあったのである。ここ数年、「中古ソフト撲滅」を声高に主張するものがソフトメーカーの中に現れるようになったが、これはまるで金の卵を生む鶏を殺すようなものである。

2、家庭用ゲーム機用ソフトの主な購入者である男子小中学生の購買力から見て、ゲームソフトの定価は非常に高い(例えば、五〇〇〇円のソフトというのは、一月に一五〇〇円のお小遣いをもらっている子供たちが、お小遣いを他の用途に全く使わずに三ヶ月貯金したとしてもまだ買えない金額なのである。)。しかも、一本のソフトで一年も二年も飽きずに遊べるようなソフトを作っているメーカーはない。一年に一ないし二本のソフトでしか遊べないのであれば、「ソフトを交換すればいつまでも新鮮に遊ぶことができる」という家庭用ゲーム機のメリットは失われてしまう。ある子供たちは十分に遊び終えたソフトを専門店に売却した代金を原資にして(さらにお小遣いを加えて)新たな新作ソフトを購入し、またある子供たちは遊びたいソフトの全部又は一部を中古で購入することによって、一年に数種類のソフトで遊ぶ機会を維持しているのである。中古ソフトが撲滅されれば(だからといって子供たちのお小遣いが増加するわけではないので)、子供たちにとって一年のうちに遊ぶことができるソフトの本数が減少してしまうことは明らかであり、そうすると家庭用ゲーム機自体に対する興味すらどんどん失われていくであろう。結局、メーカーは自分で自分の首を絞めようとしているのである。

3、売れ残った商品をメーカーに返品する制度がない上に、不人気が予想されるソフトでも割り当てられた本数を入荷しなければそのメーカーが近い将来出荷することが予定されている超売れ筋ソフトを出荷してもらえなくなるため、売れ残ることが目に見えているソフトでも入荷せざるを得ない立場に小売店は置かれている。しかも、また、家庭用ゲーム機用ソフトは、新品の卸値が異常に高く(定価の七五パーセントが主流)、新品のみを取り扱っていたのでは、商品の売れ残りのリスクを消化できるだけの利ざやを稼ぐことができない。ゲームソフトが数多くある商品の一部にすぎない家電の大手量販店やコンビニエンスストアはそれでもよいが、ゲームソフトの売り上げで店を維持しなければならない専門店は、新品ソフトだけを扱っていたのでは経営を維持できない状態に置かれている。中古ソフトを取り扱うことによって、何とか専門店が経営を維持できているのである。中古ソフトが撲滅されていけば、ゲーム専門店自体が撲滅されていくことが当然に予想されるが、書籍が家電大手量販店とコンビニエンスストアでしか購入できないとすれば現在の出版文化が維持できないであろうことが火を見るよりも明らかであるのと同様に、ゲームソフトが家電大手量販店とコンビニエンスストアでしか購入できなくなれば現在のような家庭用ゲーム機の市場は維持できなくなるであろう。

第二、独占禁止法

 ここでは、著作権法以外の法律との関係で本件がどのように位置づけられるか検討していくこととするが、その中で最も関連性を有すると思われる独占禁止法関係をまず取り上げることとする。

 一、独占禁止法と知的財産法の関係

1、中山信弘教授は、工業所有権法(上)第二版三〇頁以下において次のように述べている。すなわち、「工業所有権法は、発明等の無体財貨についての実施や使用の独占を認める制度である。それに対して独禁法は、私的独占を禁止する制度である。したがって、一見すると両制度は相対立しているようにも見える。しかし、工業所有権法は「産業の発展に寄与すること」を目的としており(特一条等)、独禁法は「国民経済の民主的で健全な発達を促進すること」を目的としている(独禁一条)。その表現に違いこそあれ、両目的に本質的な相違があるとは考えられない。そうであるならば、両制度は相対立するものないしは相抵触するものと考えるべきではなく、両者相まって、ないしは相互補完的に、健全な産業発展のための道具となっていると考えるべきであり、またその方向で解釈すべきである。」。そして、「工業所有権という独占権は、産業発展にとって寄与するからこそ認められているものであり、産業発展にとってマイナスとなるような解釈はすべきではない。独禁法の理念とするところは、知的財産法の解釈においても、当然生かされて然るべきである。たとえば、特許法における裁定実施権制度(特八三条・九二条・九三条)も、独占の抑止という観点を加味して解釈すべきであろうし、権利の範囲についても競争法的配慮を加味した解釈態度が必要となる場合もあろう。」と述べている。右の理は、工業所有権法だけにとどまらないことは、中山教授自身次のように述べられていることからも理解されよう。「知的財産権は、情報の独占権ですから、独占に伴う弊害の生ずることが予想されます。情報の独占は、物の独占より、弊害が甚大である場合も多いと予想されます。このような問題は、知的財産権法の扱う問題ではなく、競争法の分野で扱えば十分であるという考え方もあるかもしれません。しかし、知的財産権法自体がかなり政策的要素の強い法であり、その制度設計に当たっては、競争法的な要素も加味してなされるべきであると考えます。権利者と社会一般の利益の調和、つまり創作へのインセンティヴを確保しつつ社会の発展を阻害しない調和点を模索すべきであります。(パテント五一巻一〇号八頁。工業所有権仲裁センターの発会式における「二一世紀の知的財産権」と題する記念講演。)」
 かかる見解は、現代の知的財産権法の最高の水準を代表するものと言えよう。

2、このような理解は、独占禁止法の最近の学説でも一層はっきりと受けつがれているといってよい。
 すなわち、白石忠志助教授は、独占禁止法二三条論に寄せて次のように述べている。すなわち、同条により知的財産権者の排他的行使は独占禁止法の適用除外になるという従来の考え方は、排他的行使を神聖視するものであって、この考えによると、知的財産権法は競争に好ましくない影響が及んでもかまわず権利を与えているのであるから、独禁法がこれを規制すると独禁法と知的財産法が衝突してしまうことになる。しかし、競争の視点から排他権を縮小的に解釈するなら二三条の「権利の行使と認められる行為」の範囲も縮小するので衝突は起こらない。「知的財産法は技術を用いた製品をめぐる競争制限的行為を禁止するという直接的な手法をとらないとしても、競争制限をもたらすような権利行使を容認しないという間接的な手法によって、製品をめぐる競争に悪影響が生じることを防止するのに寄与し得るものと思われる。」(「技術と競争の法的構造」一六頁以下)。
 また、同教授の「独禁法講義」一八三頁では、「独禁法vs非独禁法」という対決の構図ではなく、「競争政策を反映させるべき多くの法のうちの一つとして、民法や知的財産法や道路交通法などと対等に並ぶものとして、独禁法を位置づけるほうが、歪みが少なく洗練された競争政策法」の体系づくりに資するように思われる。」と指摘されている。

3、田村善之助教授も「法技術的な特徴を考えてみれば、不正競争防止法も知的財産権法も、そして独占禁止法も一定の行為を規律する点では同じであり、ただ規制の手法が異なるにすぎない。つまり、一定の行為を禁止するにつき、不正競争防止法と知的財産権法は、前者が行為規制型、後者が登録型という相違はあるものの、ともに私訴による民事規制を原則としているところ、独占禁止法は、公正取引委員会等による行政規制を原則としているという違いがある。そして、これら三法の規制している対象が異なるように見えるのは、規制の手法が異なるためであって、規制の目的(本質)が異なるわけではない、と理解すると、現行法の棲み分けの構造も無理なく理解することができるばかりか、立法論もより具体的に議論することができる。」(「機能的知的財産法の理論」二三頁)と述べており、これらの最新の学説が到達している地点は同一であると認められる。

 二、ゲームソフトの流通

 右に述べた独占禁止法と知的財産法の一般的理解を念頭に置きつつ、ここでは独占禁止法的アプローチの前提となる我が国におけるゲームソフトの流通の実態をまず一覧しておく。

1、ゲームソフトの流通形態
 現在の我が国におけるテレビゲーム機はSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)、セガ、任天堂がそのほとんどを占める。そしてこれらゲーム機は相互に互換性がなく、それぞれ以下の通りのソフト流通経路をもっている。

(1)SCE系流通経路

Chart (SCE系流通経路)

 ソフトメーカーは開発したソフトのCDプレスを全てSCEに製造委託し、その全てをSCEが買い取る。ソフトメーカーは製造委託料としてCD一枚あたり一〇〇〇円前後を支払い、希望小売価格の五二%〜六三%でSCEに卸す。標準的なソフトの希望小売価格五八〇〇円を例にとると、ソフトメーカーはSCEに三三六四円で卸し、一〇〇〇円の製造委託費を払うことになる。
 SCEはこのソフトを五つのルートで小売店に供給する。

 (1) 商品をフランチャイズ本部(FC本部)に卸し、本部が小売フランチャイジーに卸す。ただし、商品は小売店に直送される場合もある。この場合には、SCEからの卸値は希望小売価格の七五%であり、FC本部から小売店への卸価格も同額である。そこで、SCEは翌月に卸価格の二〜六%の割戻金(バックマージン)をFC本部の支払と相殺して還元する。前記五八〇〇円のソフトを例に、アクトの場合、SCEからFC本部への卸額は四三五〇円であり、FC本部から小売店への卸額も四三五〇円、翌月のバックマージンは卸額の四・五%(小売価格の三・三七五%)である一九六円である。
 (2) 商品をレコード問屋である星光堂等に卸し、そこからレコード店に供給される。
 (3) 商品を玩具問屋であるハピネットに卸し、そこから玩具店に供給する。
 (4) 商品をコンビニ用問屋であるデジキューブに卸し、そこからコンビニエンスストア(CVS)に卸す。
 (5) SCEから直接小売店に卸す。

 右記の(1)乃至(5)の価格構成はバックマージンを含め不明であるが、小売店には概ね七五%で卸されているものと思われる。ちなみに、(1)の場合、バックマージンの割合がFC毎に異なり、その理由は明かでない。また、売れ残りソフトの返品はいっさい受け付けない。
 なお、コナミ、エニックス、光栄、タイトー等のソフトメーカにはSCEにソフト全量を販売せず自主流通を目指す動きがある。

(2)セガ系流通経路

Chart (セガ系流通経路)

 セガも、SCE同様ソフトメーカーより製造委託を受けてサターン用CDをプレスし、全量を買い上げる。買い上げ価格は希望小売価格の六〇%前後であり、CDプレス料は一二〇〇円前後といわれている。
 セガはこのソフトを販売子会社(問屋)であるセガミューズとハピネット、ツクダ等の玩具店系の問屋に卸す。そしてセガミューズよりFC本部を経由し、又は直接小売店に卸す。玩具系問屋からは玩具系小売店に卸される。
 セガミューズからFC本部への卸値は小売価格の七五%であり、FC本部からFC小売店への卸価格も同様である。そして翌月、卸値の八%(小売価格の六%)が割り戻しされる。したがって、アクトの場合、標準的なソフト小売り価格五八〇〇円を前提にした卸値は四三五〇円であり、割り戻しは三四八円となる。
 なお、セガはこの度発売したドリームキャストについてハピネット等の問屋についても一次問屋をセガミューズとし、同社よりハピネット等に卸す形態に変更し、割戻金をやめて、セガミューズよりの卸価格を小売価格の七一%に電算使用料〇.三%を加えた額とし、小売店への卸価格は七五%とした。

(3)任天堂系流通経路

Chart (任天堂系流通経路)

 任天堂は、SCE、セガとは逆に、製造委託を受けたソフトをソフトメーカーに納品し二〇〇〇円前後の製造委託料を徴求する。
 ソフトメーカーからは、かつて任天堂のソフト問屋等の集まりであった旧初心会を中心とした一次問屋に小売りの七〇%前後で卸され、ここよりFC本部、二次問屋を経由して、若しくは直接、小売店に卸される。FC本部への卸価格は小売値の七四%前後であり、小売店への卸価格は八〇%前後である。アクトの場合、標準的な小売価格六八〇〇円の場合に、一次問屋からの卸値は五〇三二円であり、小売店への卸価格は五四四〇円である。

2、右に見てきたようにSCE、セガは任天堂と異なり、いずれも販売するソフトの全量を買い取り、自己の流通経路にて販路に流す形態をとっているものである。このことはそれぞれのゲーム機におけるソフトの市場において、ソフト供給量を支配し、流通の独占を企図したものと解さざるを得ない。そして、現に、SCE、セガは流通の独占をなし、FC本部、問屋等へのバックマージン制と返品拒否及び注文に対する供給量の調整によって問屋より小売店への再販価格を維持することにより、小売店の消費者への再販価格の事実上の維持をなしてきた。ところが、ソフトの真正品が中古ソフトという形態でSCE、セガの支配の及ばない流通経路で販売され、その販売量が増加するに従って、SCE、セガの独占的流通支配が破られ、高すぎる小売価格の維持が困難となり、「The Best」「サターンコレクション」といった廉価製品の投入も余儀なくされてきたのである。
 このような状況下で、中古ソフト流通による独占的流通支配維持に危機感を感じたSCE、セガが中古ソフト撲滅運動をおこしてきたのであり、ゲームソフトメーカーの一部がこれに同調したものである。

 三、ゲームメーカーの行う頒布権の主張の不当性
   (不公正な取引方法を実現する手段としての主張)

1、ゲームソフトの中古品販売に対するゲームメーカーの行う頒布権の主張は、公正な競争秩序の維持の観点からも全く受け入れがたいものである。一、で述べた独占禁止法と知的財産法の一般的関係を念頭に置きつつ(すなわち、両制度の目的は同一であり、知的財産法は神聖視され得ず、両制度相侯って公正な競争は確保されるべきである)、二、で述べた流通実態を踏まえ、また、公正取引委員会の従来のガイドラインに照らして本件を見れば、頒布権の主張に名をかりて中古ゲームソフトの販売を禁止するということが、いかに公正な競争秩序を阻害するものであるかは自ずから明らかであると言えよう。すなわちゲームメーカーは再販価格維持、拘束条件付取引を強要し、優越的地位の濫用を実現する手段として頒布権を主張しているのであり、その一環として中古ソフトウェアの販売の禁止を要求している。被告の頒布権の主張はこの文脈の中で理解する必要がある。

(1) 平成一〇年一月二〇日、公正取引委員会は,株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に対する独占禁止法違反被疑事件に関し、同社の販売するプレイステーションと称する家庭用テレビゲーム機(以下「PSハード」という。)及びPSハード用のソフトウェア(以下「PSソフト」という。)について、小売業者に対し、直接又は取引先卸売業者を通じて
 (1) PSソフトの販売価格の拘束
 (2) PSソフトの中古品の取扱いの制限
 (3) PSハード及びPSソフトの卸売販売の制限
を行っている等の事実が認められたとして、同社に対し,同法第一九条(不公正な取引方法(昭和五七年公正取引委員会告示第一五号、以下「一般指定」という。)第一二項第一号及び第二号(再販売価格の拘束)、第一三項(拘束条件付取引)に該当)の規定に違反するものとして、同法第四八条第一項の規定に基づき、左記のとおり「ア 再販売価格拘束」、「イ 中古販売取扱禁止」、「ウ 仲間売買禁止」などを要請したり、守らせる行為を取りやめるよう排除勧告を行った。

     記

 SCEは、PSハード及びPSソフトの販売に関し、自ら取引先小売業者若しくは取引先卸売業者に対し又は取引先卸売業者を通じてその取引先である小売業者に対し、次のことを要請し、これを守らせている行為を取りやめること。
 ア PSソフトについて、小売業者は希望小売価格で販売し、卸売業者は取引先の小売業者に希望小売価格で販売させること
 イ PSソフトについて、小売業者は同ソフトの中古品を取り扱わず、卸売業者は取引先の小売業者に同ソフトの中古品を取り扱わせないこと
 ウ PSハード及びPSソフトについて、小売業者は一般消費者のみに販売し、卸売業者は小売業者のみに販売するとともに取引先の小売業者に一般消費者のみに販売させること
 (以下略)
(2) 右勧告は、公正取引委員会がSCEの取引事業者に対して課した「中古品の取扱いを制限させる条件」をつける行為を著作権法による権利の行使と認めず、逆に「公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保すると共に、国民経済の民主的で健全な発達を促進する」という独占禁止法の目的(同法一条)に照らし、右のような条件を「事業活動を不当に拘束する条件」とみなしたものであるが、右勧告は、「テレビゲームは映画の著作物とみなされるから、その著作権者は頒布権を理由として、取引先業者をして中古ソフトの取り扱いを制限させることができる」という主張が非常識なものであるということを当然の前提としたものといえる。
(3) なお、SCEが公正取引委員会の右勧告を応諾しなかっため、公正取引委員会は平成一〇年二月六日、原告SCEに対して審判開始決定を行い、現在も審判手続が係属しているが、平成八年五月九日にSCE本社や取引先など数十カ所を立ち入り検査し、その後十分な調査、検討した後の勧告であったから、当然に勧告の内容に沿った審決が下されるものと予想される。>
(4) 公正取引委員会がSCEに対し、排除勧告を出したことは当然の措置と言えるものであり、公取が行政的規制の観点から公正な競業秩序の回復を目指しているのとパラレルに、本件において知的財産法の健全な解釈によって民事的規制により公正な競争秩序を取り戻すことは、相侯って統一的に正しい法秩序の形成に寄与することになるのである。
(5) なお、原告は平成一〇年一〇月五日中古品販売禁止や仲間売買禁止を強要するなどSCEと同様に不公正な取引方法を行う被告について、これらの行為が一般指定第一三項(拘束条件付取引)第一四項(優越的地位の濫用)に該当するとして、公正取引委員会に排除勧告要請を行っている。

2、SCEに対する公正取引委員会の排除勧告でも明らかにされたように、ゲームメーカーは再販売価格の拘束や拘束条件付取引、優越的地位の濫用など様々な不公正な取引方法を正当化するために頒布権の主張(なお、この主張が著作権法上全く根拠ないものであることはこれまで原告が詳細に主張しているところである。)を行っている。公正な競争秩序の維持という社会的要請という面から見ても、頒布権を認める根拠は全くない。
 ゲームメーカーはゲーム販売店に対してしばしば(1)再販売価格の拘束、(2)中古販売の禁止、(3)事業者団体と共同で中古販売禁止キャンペーン実施、(4)仲間売買の禁止、(5)これらの実施状況に応じたリベートの供与などを行っている。
 しかし、これらはいずれも究極的にはゲームソフトの再販売価格の維持を狙った不公正な取引方法であり、被告がいかに知的財産権の行使を装っても、不公正な取引方法という実体を隠すことはできない。

(1) 再販売価格の拘束
再販売価格の拘束は、一般指定第一二項(再販売価格の拘束)及び一三項(拘束条件付取引)に直接該当する違法な行為である。このことは公正取引委員会が平成三年七月作成、公表した「取引・流通慣行に関する独占禁止法上の指針」(以下「流通・取引ガイドライン」という。)「第二部流通分野における取引に関する独占禁止法上の指針」「第一再販売価格維持行為」並びにやはり公正取引委員会が平成元年二月に公表した「特許・ノウハウライセンス契約における不公正な取引方法の規制に関する運用基準」(以下特許・ノウハウガイドラインという。なお、著作権の行使についてもこの基準は準用されうると考えられている。)「第一特許ライセンス契約」「3不公正な取引方法に該当することとなるおそれが強い事項」「(1)再販売価格の制限」、「(2)販売価格の制限及び第2ノウハウライセンス契約」「3不公正な取引方法に該当することとなるおそれが強い事項」「(1)再販売価格の制限」「(2)販売価格の制限」において明記され確認されている。
なお再販売価格の拘束は、著作権を含め知的財産権の行使としても許されるべきではないことは当然のことである。特許・ノウハウガイドラインの「特許ライセンス契約」及び「ノウハウライセンス契約」それぞれの「不公正な取引方法に該当することとなるおそれが強い事項」の「販売価格」の制限でも「実施料を確保するという理由で本制限が正当化されるものではない」と明言している。
(2) 中古売買禁止
中古売買禁止は本来自由に行えるべき中古品の売買を禁止する不当な拘束であり一般指定第一三項(拘束条件付取引)に該当する違法な行為である。これは前述のSCE事件において公正取引委員会が明確に認定しているところである。しかも注目すべきは、ゲームメーカー側が狙っているのは中古品販売を禁止して中古品市場を消滅させ、新品の価格を高く維持しようとしている点である。本来、新品市場、中古品市場が並存している状況で適正な新品価格、中古価格が設定されるのである。ゲームメーカーが中古品の市場を排除して新品価格を高額に設定しようとするのは明らかに公正な競争を排除するものであり、実質的には再販売価格の高値維持の手段とされている。中古販売禁止を取引条件とすることは不公正な取引方法であるので排除される必要がある。本来自由競争により「より良い品質を」「より安く」需要者に提供される環境が維持されなければならない。中古市場を禁圧して高い価格の新品商品しか提供しない新品市場だけを消費者に強要できるとする根拠はどこにも見いだせない。自動車メーカーが新車の価格が崩れるから中古車を売るなと主張する姿など想像だにできないことである。ゲームメーカーはまさにこれを行っているのであり、その主張には何らの正当性もないから到底採用することができないものである。
(3) 事業者団体と共同で中古販売禁止キャンペーン実施
社団法人コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(以下「CESA」という)は「コンピュータエンターテインメントソフトウェア(主として家庭において、コンピュータ等で人々が遊び楽しむソフトウェア。以下同じ)に関する調査及び研究、普及及び啓発等を行うことにより、コンピュータエンターテインメントソフトウェアの振興を図り、もって我が国産業の健全な発展及び国民生活の向上に寄与すること」等を目的とする社団法人であり、被告その他多数のゲームソフトメーカー等が会員として参加している。CESAは、公益法人でありながら、何ら正当な法律的根拠もないにもかかわらず次のように中古ソフト撲滅キャンペーンを実施している。すなわち、CESAは社団法人日本パーソナルコンピューターソフトウェア協会及び社団法人コンピューターソフトウェア著作権協会とも共同して、(1)無許諾でのゲームソフトの中古販売を禁止する「NO RESALE」マークを制定し、(2)ゲーム専門雑誌等に中古販売が違法であるとの意見広告を出し、(3)CESA会員に、ゲームソフトのパッケージや製品広告上に無許諾の中古ソフト売買を禁止する文面を記載するように勧奨している。
CESAの右のような行為は、事業者団体として会員であるゲームメーカーに対して、中古販売を行うゲームの販売業者に対して、事実上ゲームソフトという商品を供給しないようにすなわち共同の取引拒絶(不公正な取引方法一項)を勧奨するものであり、独占禁止法第八条第一項第五号に該当する違法な行為である。
共同ボイコットは市場への自由な参入を制限するものであり、流通・取引ガイドライン第一部第二の2、4が明定する不公正な取引方法である。
(4) 仲間取引の禁止、
「仲間取引の禁止」とは、例えばメーカーが、卸売業者は小売業者のみに販売し、小売業者は消費者のみに販売するというように流通ルートを管理し、小売業者が他の小売業者に販売する等の商品の転売を制限することをいう。ゲームメーカーはこれによりゲームの中古販売を行っているゲーム販売業者に対して自己の商品が販売されるのを防止しようとしているのである。結局これも中古販売を禁圧し、新品の価格を維持しようとして「仲間取引の禁止」を行うものであるので、拘束条件付取引(一般指定一三項)として不公正な取引方法である。これは流通・取引ガイドライン「第二部」「第二非価格制限行為」の「4流通業者の取引先に関する制限」及び特許・ノウハウガイドライン「第一特許ライセンス契約」「2不公正な取引方法に該当するおそれがある事項」「(2)販売先の制限」「第二ノウハウライセンス契約」「2不公正な取引方法に該当するおそれがある事項」「(2)販売先の制限」に明定されているところである。
(5) 実施状況に応じたリベートの供与
ゲームメーカーは再販売価格の維持状況に応じて、ゲーム販売業者に対するリベートの供与に差別的取扱を行っているがこれは取引条件等の差別的取扱(一般指定四項)であり不公正な取引方法である。この点は流通・取引ガイドライン「第二部流通分野における取引に関する独占禁止法上の指針」「第一再販売価格維持行為(3)」にも明定されている。
以上のとおりゲームメーカーはゲーム販売店に対して(1)再販売価格の拘束、(2)中古販売の禁止、(3)事業者団体と共同で中古販売禁止キャンペーン実施、(4)仲間売買の禁止、(5)これらの実施状況に応じたリベートの供与などを行っている。しかし、これらはいずれも究極的にはゲームソフトの再販売価格の維持を狙った不公正な取引方法であり、ゲームメーカーがいかに頒布権の主張など知的財産権の行使を装っても、不公正な取引方法という実体を隠すことはできない。

第三、広い視野からの検討

 一、はじめに

 中古品の販売が違法であるという主張(以下「中古品違法論」という。)は、極めて特異な主張であり、ゲームソフト以外の商品については聞いたことがない。
 ゲームソフトについての中古品違法論は著作権法を根拠としているが、著作権法の正しい解釈については原告第一準備書面において詳しく述べたとおりである。
 ここでは、もっと広い視野からの検討を行い、それが第一準備書面において述べた著作権法の正しい解釈を支えるものであることを詳述する。
 以下では、まず第一に、今や人類にとっての最重要課題の一つである環境問題からアプローチする。環境問題が深刻であるがゆえに、国際機関レベル、国家レベル、地方自治体レベル、企業レベル、市民レベルで非常に多様で懸命な努力が行われている。製品の再使用は環境保護の一つの柱であるから、中古品違法論は環境保護の促進に真っ向から背馳するものである。中古品違法論は人類的課題としての環境問題についての認識不足によると言わざるを得ない。ゲームソフト業界だけが人類的課題を尊重しないことが許されると考えるべきではない。
 第二に、わが国の古物営業法は中古ゲームソフトの売買が行われることを前提とした規定を置いており、そのことを踏まえると、日本の法制度は全体として、ゲームソフトについても中古品の売買を合法としているとしか考えられないのである。そのことを具体的規定に即して明らかにする。

 二、環境問題からの検討

1、仮に中古ソフトの売買が禁止されると、新品ソフトを買ったものの面白いとは思わない人やプレイにあきた人などは、使わないまま保存しておくか、ゴミとして捨てるしかない。使わないまま保存しておいても、いずれはゴミとして捨てられることになる。
 一つの製品について、一人しか利用しないまま捨てるというのは、いかにももったいない。ゲームソフトについての中古品違法論は、言うなれば「どんどん作ってどんどん捨てればよい。」として大量生産・大量廃棄を推奨しているに等しい。
 しかし、現在、国内的にも世界的にも、「大量生産・大量消費・大量廃棄」型社会の行き詰まりが自覚され、「持続可能な循環型社会」に向けて、国レベル・自治体レベル・市民レベル・企業レベルなどで非常に多くの努力が行われている。ライフスタイルの変更が、今まさに私たちに求められているといっても過言ではない。
 このような状況の中で、ゲームソフトについてだけ無駄な使い方をすることしかできないとすることは到底妥当とは言えない。

2、ゴミを減らすためには、三つのRが必要だと言われている。次の三つである。
  リデュース(Reduce)  ゴミを減らす
  リユーズ (Reuse)   再使用する
  リサイクル(Recycle) 再資源化する
 なお、リフューズ(Refuse)(ゴミを発生源で断つ)を含めて、四つのRといわれることもある。また、リサイクルという言葉はリユーズを含めて使われることがある。
 再使用できるものは再使用することが、ゴミ減量のための基本である。環境問題に先進的に取り組んでいるドイツには、「廃棄物の回避及び管理法」があり、廃棄物について、「処理」よりも、「発生抑制」と「再使用」を優先するとされている。
 廃棄物問題の専門家である本多淳裕氏(元大阪市立大学教授)も、「不用物を再利用する方法には」「原形のままで前と同じ用途や類似の用途に使うリユース(再使用)」と「解体し、素材別にして、再度新品に作り替えるリサイクル(再利用)」とがあるが、リユースはリサイクルに比べて「消費エネルギーが少なく、品質が劣化する可能性も少なく、経済的」で、リユースを「積極的に認め、奨励することが今後の社会にとって大切」であるとしている。
 環境庁の中央環境審議会廃棄物部会のワーキンググループ(座長・平岡正勝京大名誉教授)は、一九九八年六月二二日、「総合的体系的な廃棄物・リサイクル対策の基本的考え方」を示した報告書をまとめた。
 同報告書によると、政策の優先順位を「発生抑制」「再使用」「リサイクル」とし、それでも発生したものを「適正処理」するとした。
 そのうえで、従来の有価物かどうかをごみの判断基準にしてきた考え方を変え、物質循環からごみの概念をもっと広くとらえ直すことを求めている。

3、諸外国ではフリーマーケット(のみの市)やガレージ・セールなどで、不用品の売買が広く行われている。日本でも、地方自治体や市民団体などの主催でフリーマーケットがしばしば行われるようになってきている。スイスでは、「中古品ですます倹約の発想」が国民に浸透しているといわれている。
 環境にやさしく生活していくためには、何が何でも新品でなければいけないという新品崇拝から脱却し、中古品でもよい物は中古品でがまんするという生活態度が求められていると言える。また、修理・リフォームなどをして使うなど、物を大事に使う生活態度が求められている。
 リサイクルショップという形で昔の古物商・古着商などに当たる商売が成り立ってきたり、各地のリフォーム教室に参加者が増えているといわれているが、このような方向へ進んで行くことは積極的に評価されるべきである。物を大事にする方向に進む場合、中古品市場が存在することは非常に重要である。
 環境問題が深刻であり、そのために多くの人々がさまざまな努力しているのに、ゲームソフトについてだけ、特に日本のゲームソフトについてだけ中古品市場を禁止することに正当性がないことは明らかであろう。

4、二一世紀に向けて人類が最も真剣に取り組まないといけない課題の一つが、環境問題であることは疑いがない。
 たとえば、地球の温暖化が進行しており、地球温暖化の大きな原因である二酸化炭素の濃度は増加の一途をたどっている。このまま何の対策もとらないと、二一〇〇年には、地球全体の平均気温が約二度上昇し、海面は約五〇センチメートル(最大九五センチメートル)上昇すると予測されている。そうなれば、多くの土地が水没してしまう危険がある。
 日本は、世界第四位の二酸化炭素排出国であり、世界全体の排出量の約五%を排出している。日本がこのまま二酸化炭素を排出し続けることは国際的に許されない。また、廃棄物の焼却は酸素を消費して二酸化炭素を排出するだけでなく、ダイオキシンなどの有害物質を出し、人々の健康をむしばむ。
 このため、国際的にも、そして、国内でも、国レベル・地方自治体レベル・住民レベルなどで、環境保全のための真剣な取組みが行われているのである。

〈国レベル〉
 一九九三年に環境基本法が制定された。従来から公害対策基本法や自然環境保全法があったが、「大量生産・大量消費・大量廃棄」が進む中では不十分になったため、「環境への負荷」が少なく持続的な発展が可能な社会を作り、人類の生存基盤である環境を将来の世代に適切に引き継ぐために環境基本法が制定されたのである。
 環境基本法は、例えば、第三条(環境の恵沢の享受と継承等)において、「環境の保全は、環境を健全で恵み豊かなものとして維持することが人間の健康で文化的な生活に欠くことのできないものであること及び生態系が微妙な均衡を保つことによって成り立っており人類の存続の基盤である限りある環境が、人間の活動による環境への負荷によって損なわれるおそれが生じてきていることにかんがみ、現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるように適切に行われなければならない。」と、第四条(環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築等)において「環境の保全は、社会経済活動その他の活動による環境への負荷をできる限り低減することその他の環境の保全に関する行動がすべての者の公平な役割分担の下に自主的かつ積極的に行われるようになることによって、健全で恵み豊かな環境を維持しつつ、環境への負荷の少ない健全な経済の発展を図りなから持続的に発展することができる社会が構築されることを旨とし、及び科学的知見の充実の下に環境の保全上の支障が未然に防がれることを旨として、行われなければならない。」と、第五条(国際的協調による地球環境保全の積極的推進)において、「地球環境保全が人類共通の課題であるとともに国民の健康で文化的な生活を将来にわたって確保する上での課題であること及び我が国の経済社会が国際的な密接な相互依存関係の中で営まれていることにかんがみ、地球環境保全は、我が国の能力を生かして、及び国際社会において我が国の占める地位に応じて、国際的協調の下に積極的に推進されなければならない。」と規定している。
 また、環境基本法一五条により、政府は環境基本計画を定めることになっており、環境基本計画では多くの政策が定められている。
 例えば、「第三部 施策の展開」「第四節 廃棄物・リサイクル対策」では、「社会経済活動が、大量生産・大量消費・大量廃棄型となり、高度化するにつれ、廃棄物の量の増大、廃棄物の質の多様化、最終処分場の残余容量の逼迫等が生じている。」とされ、「廃棄物・リサイクル対策の考え方としては、まず、第一に、廃棄物の発生抑制、第二に、使用済製品の再使用、そして第三に、回収されたものを原材料として利用するリサイクルを行い、それが技術的な困難性、環境への負荷の程度等の観点から適切でない場合、環境保全対策に万全を期しつつ、エネルギーとしての利用を推進する。最後に、発生した廃棄物について適正な処理を行うこととする。」とされている。
 そして、「二 適正なリサイクルの推進」「(@)使用済製品の再使用の推進」では、「使用済製品の交換、販売等のための機会の提供等を推進する。」とされている。
 さらに、一九九八年の環境白書は、副題が「二一世紀に向けた循環型社会の構築のために」で、一九九七年一二月の地球温暖化防止京都会議で明らかにされた地球温暖化や、ゴミの焼却処理によるダイオキシンなどの有害化学物質による汚染問題などを踏まえ、今日の「大量生産・大量消費・大量廃棄型」の社会からの脱却を提唱し、リサイクルを重視した「循環型」社会への転換を訴える内容となっている。
 一九九八年の環境白書は膨大な内容であるが、使用済製品の再使用に関する部分をいくつか拾ってみる。
 例えば、「平成九年度 環境の状況に関する年次報告」「第一部 総説」の「第一章 循環型経済社会への動き」「第二節 循環型経済社会を目指した産業システムの試み」「三 生産、流通、消費段階での新たな動き」では、「消費の段階では、例えばフリーマーケットやバザー等を活用して、不要品を必要としている人に譲ることなどの動きもでてきている」(総説九四頁)とし、「第三章 ライフスタイルを変えていくために」「第三節 「循環」と「共生」を実現するライフスタイル」「三「循環」と「共生」のライフスタイルの一つのかたち」では、「製品の高付加価値化から修理産業やリサイクルショップ、フリーマーケット、再利用産業が盛んになる」(総説三八八頁)「不要になった物もフリーマーケット等により再使用や、再資源化により廃棄物が極力削減される」(総説三九一頁)としている。
 また、同「第二部 環境の状況及び環境の保全に関して講じた施策」「第一章 環境への負荷が少ない循環を基調とする経済社会システムの実現」「第四節 廃棄物・リサイクル対策」「二 適正なリサイクルの推進」では、「使用済製品の再使用の促進」が取り上げられている(各論一三一頁)。
 さらに、「平成一〇年度において講じようとする環境の状況に関する施策」「第一章 環境への負荷が少ない循環を基調とする経済社会システムの実現」「第四節 廃棄物・リサイクル対策」「二 適正なリサイクルの推進」でも、「使用済製品の再使用の促進」が取り上げられている(各論四〇四頁)。

〈自治体レベル〉
 地方自治体も、リサイクル運動を積極的に進めており、非常に多くの自治体がリサイクルのための活動をしている。
 一例を挙げれば、東京都では、「循環型社会づくりのための行動計画」などに取り組んでおり、また、一九八九年以来、ゴミ減量に向けた「東京スリム」というキャンペーンを展開しており、そのキャンペーンの一環として東京都清掃局の主催で、「クリーン東京フェスティバル」が毎年各地で行われ、フリーマーケット(のみの市)が開催されている。

〈市民レベル〉
 日本全国各地に「リサイクル運動市民の会」などがあり、それらの会は「リサイクル・ニュース」などの情報媒体を発行して、不用品情報を掲載したり、フリーマーケットを開催している。東京・渋谷の代々木公園では毎月開催されている。リサイクル・ショップを開設しているところもある。

〈国際的レベル、企業・企業団体レベル〉
 世界的にも環境問題は重大な関心事項であり、一九九二年に地球環境サミットがブラジルで開催され、その五周年の一九九七年には、国連環境特別総会も開催された。そして、一九九七年一二月には、京都地球温暖化会議(気候変動枠組条約第三回締約国会議)が開催された。
 また、ISO(国際標準化機構)が国際間の産業活動や流通を円滑にするための国際規格を定めているが、その規格番号でISO一四〇〇〇シリーズというのがある。環境に配慮した企業などを認定するための環境マネージメントシステムや環境監査などを定めた国際規格であり、いま、世界中で、多くの企業などがISO一四〇〇〇の認定を受けようと努力している。
 日本でも、経団連(経済団体連合会)が環境自主行動計画を定めており、各業界団体も加盟企業がISO一四〇〇〇の資格を取得するように推進している。
 このように多くの企業が環境に配慮する企業運営を目指している中で、ゲーソフトメーカーだけが一人が使ったら捨てるしかないという方針を採用することは正当性を認められないであろう。

5、ゲームソフトは、ソニーのプレイステーションやセガのサターン用はCDーROMという媒体で提供され、任天堂のマシン用はROMカセット(カートリッジ)で提供されている。CDーROMは、ポリカーボネートというプラスティックにアルミを蒸着させたものである。ROMカセットも基本的にプラスティック製品であろう。
 ゴミの処理にあたって、プラスティック製品は非常にやっかいなものである。例えば、プラスティックは種類が多いために分別が難しく、したがって、効率的にリサイクルしにくく、また、ものによっては焼却するとダイオキシンなどの有毒物質を出すものもある。
 CDーROMの板を数枚あるいは数十枚廃棄しても、環境への大きな影響はないという反論があるかも知れないが、一人ひとりが廃棄するプラスティック製品は少ない量であっても、多くの者がそのような態度を維持し続けると、社会全体としては無視できない量になるのである。一人が使っただけで廃棄するしかないという仕組みにしない方がベターであることは間違いない。
 なお、コンピュータ本体のリサイクルも課題であり、社団法人日本電子工業振興協会(JEIDA)は、一九九八年六月に、「使用済みコンピュータの回収・処理・リサイクルの状況に関する調査報告書」をまとめるなど、環境問題に配慮する姿勢が見られる。

6、我が国ではこれまでに、環境保全のためにいくつもの法律が制定されてきた。例えば、一九九一年には、再生資源利用促進法(「再生資源の利用の促進に関する法律」)が制定され、一九九五年六月には、容器包装リサイクル法(「容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進に関する法律」)が制定された。また、一九九八年五月には家電リサイクル法(「特定家庭用機器再商品化法」)が制定された。
 このように、循環型社会に向けての取組みが一歩一歩進んできており、この方向が反転することはないだろうし、ますます資源の効率的利用や環境保全の方向に進んでいくであろう。
 このような方向の中で、ゲームソフトについてだけ「使い捨て」を奨励するような仕組みは到底妥当とはいえない。

7、著作物その他の知的財産権が関係する商品について新品市場と中古品市場は共存共栄の関係を保っている。以下、いくつかの商品について概観する。

〈書籍の場合〉
 著作物として中古品が最も広く流通しているのは、書籍であろう。全国津々浦々に古書店がある。比較的新しく刊行された本を古本屋で買う場合もあるだろうが、古本屋でしか手に入らない本も多い。日本の出版事情からすると、普通の書店では比較的新しく刊行された本以外は入手しにくい。古本屋の存在意義は誰も否定しないはずである。なお、全国古書籍商組合連合会には、約三〇〇〇軒が加入しているという。

〈自動車の場合〉
 コンピュータ・プログラムが関係している中古品で広く売買されている物として、自動車がある。自動車は知的財産権のかたまりとも言えるであろう。中古車市場は車の売買をする人にとって欠かせないものになっており、中古車を買う人はもちろん、新車を買う人にとっても、中古車市場がなければ、それまで使っていた車を下取りに出すことができなくなる。新車が多く売れれば中古車市場に出る車も多くなり、中古車市場で高く売れる車は新車がよく売れるなど、新車市場と中古車市場は共存共栄の関係にあるといってよい。日本中古自動車販売協会連合会には、一〇、〇〇〇社を超える会員ディーラーがいるという。
 なお、トヨタ自動車はインターネット上に「世界最大」の中古車販売店を開設し、完成時には五〇万台の情報が検索可能になるという。

〈パソコンの場合〉
 例えば、アメリカでは、インターナショナル・データ(IDC)の調査によると、再生パソコンの供給は、一九九七年には五五〇万台だったが、二〇〇二年には九八六万台にまで増大する見込みとのことである。

〈住宅の場合〉
 不動産に関しては、中古住宅市場がある。ある人が使って、その人がもう使わないという場合に、その住宅は壊すしかないというのは、社会経済的に考えて、明らかに無駄である。中古住宅の売却ができないということになると、住宅の新築が行われにくくなるだろう。ここでも、新築住宅の建築業界と中古住宅市場は共存共栄の関係にある。

8、なお、日本人は伝統的には物を大事に扱ってきたとされている。もともと資源が乏しいという事情もあるかも知れないが、物を大事にするのはもともとは日本人の長い伝統であったと指摘されている。
 例えば江戸時代は非常にうまくリサイクルが行われていたことが指摘されている(例えば、石川英輔『大江戸リサイクル事情』(講談社文庫・講談社、一九九七年)など多数)。
 もちろんわれわれが江戸時代に戻ることは不可能であるが、それでも、物を大事にすること、物が有効に利用され大事にされる社会的な仕組みを考える貴重な材料である。

 三、古物営業法を含む日本の法制からの検討

1、わが国では、昔から、さまざまな中古品が販売されてきたが、現在では、古物営業法によって基本的に律されている。

2、古物営業法は、古物の買受けなどの場合に、原則として、相手方の住所・氏名などを確認などする義務を定めつつ、一定の金額未満のものなどについて例外としている(一五条一項)。
 その例外の例外として(つまり、相手方の住所・氏名などを確認などする義務がある場合として)、「特に当該確認又は文書の交付の必要があるものとして国家公安委員会規則で定める古物に係る取引をする場合」を定めている(一五条一項一号括弧書)。
 そして、古物営業法施行規則では、「確認等の義務を免除する古物等」についての規定(一六条)で、「国家公安委員会規則で定める古物」として、「専ら家庭用コンピュータゲームに用いられるプログラムを記録した物」を定めている(一六条二項二号)。
 この「専ら家庭用コンピュータゲームに用いられるプログラムを記録した物」とは、「テレビゲーム、パソコンゲーム等のゲームソフトのことで、カセット式、フロッピー式等型式を問いません。」とされている(警察庁生活安全局生活安全企画課監修・財団法人全国防犯協会連合会編著『新古物営業法 ー実務の手引きー』(東京法令出版、一九九六年)二八頁)。
 つまり、古物営業法も、ゲームソフトの中古販売が合法であることを前提にしているとしか考えられないのである(つまり、ゲームソフトの中古販売が違法であれば、このような定めをおくことは考えられない)。

3、なお、古物営業法施行規則は古物営業法五条一項三号に関し二条で「古物の区分」について一号から一三号まで規定しており、一〇号で「道具類(…磁気記録媒体、蓄音機用レコード、磁気的方法又は光学的方法により音、影像又はプログラムを記録した物等)」と規定している。ゲームソフトがこの規定に該当することも明らかである。

4、以上のように、中古品売買の適法性を検討する際に、著作権法の観点だけではなく、広く日本の法制全体から見た場合、特に環境法制や古物営業法制を含めて見た場合に、ゲームソフトについてだけ中古品の販売が禁止されるという解釈は存立の余地がないと言わなければならない。

以 上 

 
  『東京訴訟』