中古ソフト問題・東京訴訟
「原告側第五準備書面」


平成一〇年(ワ)第二二五六八号
 著作権に基づく差止請求権不存在確認請求事件

                               原   告  株式会社 上   昇

                               被   告  株式会社 エニックス

  平成一一年三月一六日
 

 右原告訴訟代理人
     弁 護 士 椙  山  敬  士
       同 藤  田  康  幸
       同 小  川  憲  久
       同 吉  田  正  夫
       同 藤  本  英  介
       同 中  野  通  明
       同   小  倉  秀  夫
       同 杉  浦  幸  彦
       同        岡  村  久  道
       同 木  村  圭 二 郎
       同 北  岡  弘  章
       同 錦        徹
       同   神  頭  正  光
       同 志  村     新
       同 濱  田  広  道
       同 鈴  木     誠
       同 大  土     弘
       同 岩  崎     晃
       同 権  藤  龍  光
       同 追  川  道  代

              
                  
                      
                

東京地方裁判所民事第四六部B係 御中

第 五 準 備 書 面


 被告の平成一一年二月二五日付準備書面(三)につき、必要な反論をする。
 本書面における項目番号は、被告準備書面(三)のそれに対応するものである。

第一 被告準備書面(三)の第一について
   (著作権法二六条の頒布権は消尽しないとの主張)

一(1)BBS最高裁判決では、我が国の特許法でも消尽を定めた明文の規定がないのに消尽を認めたのであり、明文の規定がないからというだけでは余りに形式的な解釈態度というべきである。またアメリカやドイツのように著作権につき消尽が判例法で認められた後に立法化された例もある。
 また、仮に二六条の頒布権が再頒布に及ぶとしても、消尽しない権利は極めて例外的なのであるから、わが国の立法時に想定された状況(すなわち劇場用映画の配給)にのみあてはまるものと考えるべきである。市販用ビデオソフト(中古販売を制限するような動きはなされていないという健全な実状にある)や、さらには家庭用ゲームソフトについてまで実質的根拠なく拡張させるべきではないのである。
 
(2)被告の言及する板東氏の見解は立法後二六年を経た後の講演会における個人的意見にすぎず、立法当局の認識とはいえない。被告は他に立法経過を示すといえる何らの資料も提出していない。
 WIPO新条約における頒布権の扱いについては国際消尽をどの範囲でみとめるかだけが各国に委ねられているに過ぎず、国内消尽を否定するような考えは全くない(原告の第一準備書面七四頁以下参照)。
  
第一小委の審議のまとめについては原告第四準備書面の第四を参照されたいが、ここでの被告の主張は典型的な映画についての記述にすぎないことを確認しておくべきである。

二、貸与権の立法当時、当局が念頭に置いていたのは劇場用映画については頒布権でカバーされると考えたからというにすぎない。したがって、ゲームソフトの中古販売まで念頭においていたわけでは毛頭ない。
 ゲームソフトのレンタルは貸与権の規定でカバーできるから映画の著作物と無理に措定する必要はない(ちなみに、アメリカではゲームソフトのレンタルも許されている)。

三、ベルヌ条約上の映画の著作物の頒布権が消尽することについては、原告第一準備書面六七頁以下で詳しく述べたとおり、仏語版に従って頒布は第一頒布と解されていることから明らかである。それが世界標準の解釈である。
                                                               
 
第二 被告準備書面(三)の第二について
   (本件ゲームソフトが頒布権の認められる映画の著作物であるという主張)

一(一)被告の主張は全く形式的解釈にすぎない。映画は映像が動くからではなく劇場において多数の公衆に同時に鑑賞されるのが一般的利用形態であり、これを前提として映画館に順次配給していくという流通形態であったからこそ頒布権が認められたのであり他に根拠はない(現行著作権法の立法当時ビデオソフトも含める意図があったとする資料は存在しない)。ゲームソフトが映画そのものとは違うことは明らかであることから、映画に頒布権を与えた実質的根拠と同等なものがない以上安易な拡張適用をしてはいけないことは法解釈の基本というべきである。

(二)著作権法二条一項二〇号の頒布の定義については、「映画の著作物」に関しては公衆に提示する目的の場合は一本でも頒布にあたることを明確にしただけのことであり、この規定により被告のいうように、「ゲームソフトも含め」配給以外の複製物の流通にまで頒布権が及ぶとしているわけではない(ゲームソフトは立法当時存在しなかった)。

(三)(1)事は被告の主張するように著作者と流通取引者の間の利益調節の問題にとどまらない。被告ら中古ソフトを禁圧しようとするソフトメーカーに決定的に欠けていると思われるのはユーザーの視点である。ゲームソフトに限り中古品の流通が妨げられるならユーザーは利用を終えた複製物を処分しにくくなるのは必然である。また高いソフトを買うしか選択の余地がなくなってしまうのである。

(2)著作物も権利者により有体物に化体された後は他の商品と同様に所有権法秩序にも属することになるのは当然のことであり、被告はこの単純な事実を無視しようとしている。
 斎藤論文は意欲的な点は評価できるが、自ら試論であると断っているし、同教授もそのような考えが現行法も諸外国法もとるところではなく、国際著作権界の支配的見解でないことを認めている(乙第二六号証 三九頁)。
 個性的表現が流通を規制する根拠だというのなら、何故頒布権を人格権として規定しなかったのだろうか。また何故同じく個性的表現であるはずの他の著作物とは異なり映画の著作物だけ頒布権を認めることになるのか。また諸外国において映画の頒布権も消尽するとされていることの説明もできない。諸外国では映画も個性的ではないというのであろうか。被告は極度に抽象的な概念に頼って付会の議論をするものである。
   
 個人的利用を終えたのち中古品として他者の個人的利用に供するべく市場に出されたことをもって公衆性のある利用とは到底いえない(中古ゲームソフトが個々のユーザーの私的空間以外で利用されているという実態はない)。中古販売が公衆性ありとするなら、古本屋の古本の売買も公衆性ありというべきだし、キャラクターのついたTシャツの古着販売も、音楽CDの中古販売も、プログラムを内蔵しているコンピューターや自動車や炊飯器などの中古販売も公衆性ありとして禁止されることになるだろう。これらの製品も個人的利用から個人的利用にうつるべく中古販売が許容されており、かかる中古販売が公衆性ある利用とは到底いえないのである。

(3)一個の複製物が中古市場を通じて何回か利用されることになるとしても(実際には中古ゲームソフトの平均回転率は原告第二準備書面一〇頁で述べたように〇.四回程度であって中古自動車よりはるかに低い)先に挙げた他の著作物と同様著作権者において初めから当然予測しておくべき事柄である。
 また中古ソフト販売は貸与ではない。原告の販売方法も貸与形態ではないし貸与と同視しうるものでもない。被告の主張は何ら事実に基づかない無責任なものである。
 著作者が当初予定した著作物利用の範囲を超えた利用であると被告はいうが、当然予定すべき利用を著作者がしていないからといって権利が発生するものでもあるまい。本件各ゲームソフトが発売されるはるか昔から家庭用ゲームソフトのユーザーは、飽きたソフトを専門店等に売却し、専門店等がそのソフトを「中古ソフト」として別のユーザーに提供するという商品流通のサイクルができていたのであるから、本件各ゲームソフトについても、いったんユーザーの手元に渡った真正品たる複製物が再び販売業者の元に環流され再び新たなユーザーの使用に供されるということは、当然に予想されていたし予想すべきものである。
 さらに被告の主張は何故に映画の著作物だけ消尽しないことになるのか説明になっていない。

二(一)上映を前提とした劇場用映画に限定すべきだとする学説は「上映」を「公の上映」の意で用いていることは余りに明らかであり、被告は揚げ足取りをしているにすぎない。劇場用映画の上映が公でないことなどありえない、少なくとも問題にするまでもないことは明らかである。
 被告の判例中(2)の形態はあるとしても例外的であり事実関係によっては貸与権の侵害となりうるかもしれないが原告の販売形態となんら関係ないのでそれ以上取り上げる意味はない。また、(3)の利用形態は通常のパッケージ形態の複製物を利用するものではない。また(2)や(3)が公の上映にあたるとしても、無許諾で行った場合を貸与権や(判例法である)上映権でとらえればたりるものであり、家庭用ゲームソフトの通常の利用形態であり正に本件で問題となっている(1)の形態が「公の上映」といえなければ議論になんの意味もない。

(二)田村説に対する批判にたいしては、「実定法上の根拠がない」という形式論理的文理解釈にとどまるものである。また、殊に本件で正に問題になっているゲームソフトの利用の全部というべき家庭内利用をも「公の上映」としてくくろうという乱暴な議論である。

第三 被告準備書面(三)の第三について
  (消尽論やファーストセールドクトリンをわが著作権法には適用しないという主張)

一、原告は、当然のことながら、著作権と特許権があらゆる面で同じだなどと主張していない。

二、ベルヌ条約のような国際的ハーモナイゼーションをもちだすのであれば、何故に全世界のなかで日本だけ中古ソフトの販売が禁止されるような解釈をとろうとするのか、そのこと自体を反省したほうがよいだろう。大体、アメリカを始め諸外国で自ら主張さえしていない議論を日本でだけ国民におしつけようという態度は恥ずべきものである。

三(一)このBBS最高裁判決の要約部分は正しい。

(二)著作権についても、ここ一、二年のゲームソフトメーカーのヒステリックとも言うべき主張が生まれる前までは、特許製品と同様著作権の複製物の転売行為が違法だなどと本気に考える者などいなかったのである。

(三)(1)本件も含めプログラムやデータベースが著作権の対象となってきている現状において被告の主張のような目的の違いから導出される大雑把な議論がどこまで意味を持つかよく検討すべきである。

(2)(1)特許発明が物を離れては成り立たないとはどういう意味なのか理解に苦しむ。著作物を物を離れて観念することはかまわないが、本件は正に著作物がCDーROMという物に化体された事例であることを忘れてはならない。物に化体されて商品となっているからこそ、取引の安全など所有権の観点から当然制約が加わるのである。
 真正品の所有権の典型的な享受にあたって、権利者から権利行使があらためて行われるというようなことが所有者にとって予想しない事態であることは、特許権でも著作権でも同じである。それがわが国のみならず全世界の法常識なのであって、別異に解するのは被告ら一部のゲームソフトメーカーだけである。
 
(2)物の所有者にとって有用なのは物自体というより物のもたらす効用であるという点では特許製品であると著作物製品だろうと異ならない。著作物たるプログラムで制御されたサーモスタットを有する電気ガマのユーザーは電気ガマの効用を享受するために購入するのである。カーナビゲーターのプログラムも地図のデータベースもユーザーはその道案内の効用を享受するのである。著作物であっても実用性の高いものはその効用ゆえであり、効用は物に転化されているのであり、特許だからアプリオリにどうこうということにはならないのである。
           
逆に特許でも、媒体特許において、物としての媒体はプログラムを支持するための手段にすぎないといえる。少なくとも現代においては特許と著作権を被告のような大雑把な議論で区別することなど到底できないのである。
 被告は「著作物の複製物を購入し、その所有権を手にした者が、これによって著作権まで入手したと考えることは、むしろ法常識に反することといってよい。」と述べているが、当たり前であり、誰もそのような非常識な主張をする者はないだろう。そして、そのことは特許製品でも当然であり、製品を購入したからといって、誰も特許権まで入手したとは考えないことは明らかである。
 「公衆性ある利用」については、先述のとおり、本件では全く当てはまらない。本件におけるような利用形態が公衆性ありとすれば、複製物が頒布された場合に「公衆性のない利用」などおよそ存在しえないであろう。
 先にも述べたが、キャラクターの描かれたTシャツやプログラムいりの電気ガマの例などから明らかなように著作物についても商品とされれば自由な流通取引という社会的要請が発生するのは余りに当然というべきである。
 
(3)中古ソフトの購入者も私的な利用をするものであることは、社会的常識というべきである。公衆性のある利用などほとんど考えられない。そのような個人的利用を媒介するものとして中古ソフト販売が存在するだけのことであり、中古販売自体が劇場用映画の上映のような独自の利用形態であるわけではない。(なお、被告は本件ゲームソフトの包装には中古販売禁止の旨が表示されているというが、本件ゲームソフト目録一のスターオーシャン セカンドストーリーには中古販売禁止の旨の表示もない。あろうとなかろうと同じことであるが。)
 
(3)(1)いったん適法に流通に置かれたのちに権利が及ばないのは基本的に特許も著作権も同じであり、著作物は違うなどと誤解しているのは被告ら一部のゲームソフトメーカーだけである。著作権Yノあっても第一頒布で投下資本の回収が期待されるのは特許と同じである。
 二重利得について著作権と特許を区別する理由はない。また、著作物のうち、ゲームソフトと他のパッケージ形態の著作物と区別する理由もない。
 
(2)ゲームソフトにつき、流通においたのちの利用を予測することは全く困難なことではない。レンタルは貸与権で十分に禁止できる。
  被告らは二重、三重の利得を取得せんとしているのである。

第四 被告準備書面(三)の第四について
   (被告は「中古ソフト撲滅をはかるものではないとの主張)

一、「中古ソフト撲滅」という言い方をしているのは、被告も会員となっているCESA(社団法人コンピュータエンタテインメントソフトウエア協会)であって、原告ではない。
 被告は優越的な地位に依拠し、理由のない権利主張をして原告や他の販売店の正当な業務を妨害してきたのである。権利もないのに許諾を受ければよいという言い方は厚顔というべきである。

二、ゲームソフトに限らず、著作にいくら金がかかるかは著作物の良し悪しと直接関係ないし、少なくとも権利の有無ないし強弱に関係することはない。著作物であろうとなかろうと投下した資本が回収されるか否かは市場が決定することであり、著作物であることから投下資本の回収が保証されることはない。任天堂のゲーム機が君臨していた時から、中古ソフト市場は新品市場と共存していたのであり、中古ソフトの利用が「予定しない利用」などとはいえない。プレイステーションの時代になって、再販価格維持の許されている音楽CD業界から進出してきたソニー・ミュージック・エンタテインメントを主要株主とするSCEが同様な市場支配をめざして再販価格維持とつながる中古ソフトの販売妨害を企てて、これに一部のソフトメーカーが便乗したというのが、この異常事態の発生原因である。

 以上総じて、被告は、現行法上映画に認められている頒布権を、パッケージで販売している真正品たるゲームソフトの複製物にまで及ぼしうることの実質的根拠を何ら示しえていない。「映像が動きをもって見えること」から中古ソフトの販売が禁止されることを導く論理はない。投下資本の額が多いのはゲームソフトに限らず、一般のプログラムやデータベース、百科事典等々いくらもある。投下資本の大きさゆえに消尽なき頒布権が認められているわけではないのである。デジタル形態であることもゲームソフト特有の話ではない。また、日本においてのみゲームソフトの中古販売が禁止されるべきだという理屈もありえない。被告の消尽なき頒布権の主張は全く実質的根拠を欠くものなのである。  
 

 
  『東京訴訟』