中古ソフト問題・東京訴訟 |
| 右原告訴訟代理人 | |
| 弁 護 士 | 椙 山 敬 士 |
| 同 | 藤 田 康 幸 |
| 同 | 小 川 憲 久 |
| 同 | 吉 田 正 夫 |
| 同 | 藤 本 英 介 |
| 同 | 中 野 通 明 |
| 同 | 小 倉 秀 夫 |
| 同 | 杉 浦 幸 彦 |
| 同 | 岡 村 久 道 |
| 同 | 木 村 圭 二 郎 |
| 同 | 北 岡 弘 章 |
| 同 | 錦 徹 |
| 同 | 神 頭 正 光 |
| 同 | 志 村 新 |
| 同 | 濱 田 広 道 |
| 同 | 鈴 木 誠 |
| 同 | 大 土 弘 |
| 同 | 岩 崎 晃 |
| 同 | 権 藤 龍 光 |
| 同 | 追 川 道 代 |
東京地方裁判所民事第四六部B係 御中
第 四 準 備 書 面
被告の平成一一年一月二一日付準備書面(二)につき、以下、必要と思われる限度で反論等を行う。
第一 被告準備書面(二)の「第一」について
(著作権法上の「映画の著作物」概念の関係)
一 「第一」「一」について
「映画の著作物」が固定されるべき媒体の種類について著作権法上限定のないことを、原告は争うものではない。そもそも、原告は「ゲームソフトの媒体」がフィルムではないから映画の著作物ではない」と主張しているわけではないので、被告準備書面(二)「第一」「一」の被告主張はこの限りで無意味なものと言わざるを得ない。
なお被告は固定された連続映像収録物に言及しているが、後述のとおり連続映像収録物であればそれだけで映画の著作物になるわけではない。またそもそもゲームソフトでは固定された連続映像が収録されていることもない。
二 「第二」「二」について
1 著作権法二条三項の映画の著作物について、被告の引用する判決例が一定の言及を行っていることは認めるが、その判断の位置付け及び射程距離については争う。
被告が引用するパックマン事件の両判決はゲームソフトに映画の著作物の頒布権に関しては何ら先例的価値を持たないものと言わざるを得ない。すなわち、両判決は何れも違法複製が前提となる事件であり、本件のように正当な権利者が自らの意思に基づいて、譲渡して流通においた複製物(真正品)について頒布権が及ぶか否かが議論とされたことは全くない。パックマン事件の両判決は、結局被告の主張を支持するものになり得ない(パックマン事件両判決の問題点については、原告第一準備書面三一頁末行以下に詳細に主張したとおりである)。
2 また、ドラゴンクエスト2事件もいわゆる攻略本の出版を複製権侵害であるとして本件被告がその出版差止を求めた事件である。そこでは、複製権が争点となったに過ぎず、頒布権などは何ら争点となってはいないのである。
3 ゲームソフトはそもそも固定された連続映像収録物とは言えない。しかし被告は映像の連続について主張するので、若干この点について原告の考えを述べる。被告の主張は、連続影像収録物は全て頒布権(法二六条)の対象となるということを前提にするものと理解される。しかし、頒布権(法二六条)の立法趣旨からするなら、かかる単純な前提が正しくないことは、原告第一準備書面六頁以下に詳述したとおりである。本件でまず問題となるのは、連続影像収録物であればそれだけで直ちに法二条三項の「映画の著作物」に該当すると言えるかという点にある。被告の主張にもかかわらず、連続影像収録物であるだけでは、映画の著作物と言えないことは三沢市市勢映画事件で最高裁判所が明確に認めるところである(この点は原告第一準備書面一五頁以下に詳述したとおりである)。
4 また、物に固定されるべきものは「映画の構成要素」ではなく、著作者の思想又は感情を創作的に表現した連続影像群である。構成要素がたとえ固定されていても、プレーヤの操作(+乱数を利用したパラメータ)で変化する連続影像は到底「物」に固定されているとは言えない(この点は原告第一準備書面一一頁以下に詳述したとおりである)。
三 被告引用の論文について
被告引用の各論文について検討すると、総じて執筆、出版の時期が古いものが多い。これらの各論文が執筆出版された時代には、ゲームソフトに頒布権が認められるかという問題意識は全くなかった。むしろゲームソフトを既存の著作物の種類の中で当てはめるとしたらどの著作物かとの観点から主に論じられていたため、既存の著作物の中では視聴覚的要素を含む映画の著作物に区分けする例が散見される結果となっただけのものと言える。勿論これらの論文はゲームソフトに頒布権が認められるかとの議論を何ら行ったわけでもないし、積極的にゲームソフトに頒布権を認めるのが妥当としたわけでもない。被告がこれらの論文をゲームソフトに頒布権を認めるべきだとする論文であるとして引用しているのであれば、見当違いと言わざるを得ないし、執筆者の意図にも反することになろう。
被告引用の論文中、例外的にゲームソフトと頒布権について言及しているのが、乙一四号証(コピライトの半田教授の講演録一七-一八頁)である。しかし、同教授は、「わが国の頒布権というものは映画の著作物についてのみ認められておりまして、先ほども申しましたように、映画の特殊な流通形態を念頭に置いて設けられたものであることは確かです。」「立法者の予想しないこのような流通経路をたどるものについては、頒布権の行使を認めるべきではないのではないかという疑問が出てくるのも当然のことかと思うわけです」と述べ、原告の主張を基本的には正当なものと評価している。但し、同教授は、頒布権の消尽には明文の規定が必要であるという独自の立場から、結論として、
「現行法上は、このようなビデオソフトであれ、あるいはゲームソフトであれ、頒布権がすべて及んでいくので販売禁止、こういう措置を権利者が講じることもこれは法的には可能であるといわざるを得ないというふうに思うわけです。」
とし、それでもこれに続けて
「もっとも、それが妥当であるというわけではありませんで、このような立法者の念頭に入っていないような流通経路でありますので、これは早晩、立法的な手当てを講じるということが、どうしても必要となってくるように思います。」
と述べ、ゲームソフトに頒布権を認める不当性を主張しているのである。ビデオソフトであれ、あるいはゲームソフトであれ劇場で上映されることを前提としない著作物すべてに頒布権が及んでいくことが不当であるという理解の点では、半田教授の同講演における立論と原告の主張には差はないのである。
第二 被告準備書面(二)の「第二」について
(パックマン事件等裁判例の射程の関係)
一 パックマン事件判決等に関する被告の反論は、「映画の著作物=頒布権あり」という単純な図式を前提にパックマン事件等において映画の著作物として認められている、というにすぎず、何ら原告の主張に対する反論たり得ない。パックマン事件判決等において実質的に頒布権を検討し判断したものはないのであり、テレビゲームを映画の著作物として複製権が保護された裁判例があるというにとどまる。
複製権侵害の有無が問題となる事件においては、何らかの著作物であることが認定されれば足り、映画の著作物であるか否かの厳密な認定は不要である。複製権侵害事件は頒布権の存否をめぐる事件の先例となりうるものではない。
二 パックマンアーケード事件判決について
1 パックマンアーケード事件判決において頒布権自体は全く検討されていないという点については、被告も認めているとおりである。同事件は頒布権とは関連のない事件である。
2 「映像が動きをもって見える」との言葉に「ゲームルール、ストーリー、音楽等を内容とする映像表現である」との事実や「制作者の精神活動の所産としての意図を伝える」との意味は存在しない。同事件判決における「映像が動きをもって見える」とは文字通りの意味である。
原告は、法文の要件は「映画の効果に類似する…」であって、「映画の視覚的効果に類似する」=「映像が動きをもって見える」ではなく、「映画の効果」とは映像の連続により制作者の意図を伝達すること、即ち「映像が動きをもって見える」では足らず、制作者の意図の伝達という有意性のある映像の連続を要すると主張するものである。ゲームソフトが完成された作品として公表されたとしても、そのことは何ら映画の効果に類似する視覚的効果が存在することにはならない。
3 本来の映画における固定とは、作品を構成しうる部品をどのように選択し、組合せ、映像を連続させるかという制作者の意図が固定されていることを意味する。即ち、映画は常に同一の映像表現によって思想感情の伝達がなされることに意味があり、その固定された映像表現によって一定不変の思想感情が伝達される点に他の著作物と異なる「映画の著作物」が存在するのである。ユーザーの操作を中心とするゲームソフトは映画著作物の固定概念とは相容れないのである。
4 同判決が立法趣旨を認定しつつ、理由なく、立法趣旨に反する解釈を肯定するのは論理矛盾である。
5 プログラム著作物が明記され、特別の条項が追加された結果、二重保護を認めると条文間に矛盾を生じさせる事態となっていることは、プログラム著作物が明記される前とは全く異なる状況にあることを意味する。かかる矛盾を想定していない先例が意味を失っていることは明らかである。
三 ディグダグ事件判決、トップレーサー事件判決について
欠席判決においては、原告の主張事実が自白したものとしてそのまま認定される。したがって映画の著作物に該当する旨の事実主張をなせば映画の著作物として認定されるのは当然である。裁判所の法律判断は認定された事実に羈束されるのであるから、争われた事件の法律判断と同等に評価し、先例とするのは誤りである。
四 ドンキーコングジュニア事件判決について
本判決においては「映像の連続によって表現した著作物」としており、あえて「映画の著作物」とはしていないのである。「映画の著作物」との表現は「視聴覚の著作物」の後ろに括弧書きで記載されており、これは「視聴覚の著作物」が法一〇条に列記されていないため、映画の著作物に代表される視聴覚の著作物であるとの趣旨であると理解される。映画の著作物に該当するとの判断はなされていない。
五 以上のとおり、被告の反論はいずれも正鵠を射ておらず、また、本件の頒布権問題とは局面が異なることを理解していない。原告は、過去の裁判例においてもゲームソフトを映画の著作物であると実質的に判断したものは一事例のみであり、かつ、頒布権を念頭に置いた事例は全く存在しないことを明らかにしているのである。
第三 被告準備書面(二)の「第三」について
(映画の著作物の要件、プログラムの著作物との関係など)
一 被告は、準備書面(二)において、「ゲームソフトに含まれる影像表現物」が著作権法第二条三項にいう「映画の著作物」に該当するということを縷々論じて
いることが窺える。
表現が難解であるため、論旨が必ずしも明らかでないが、およそ次のようなことを述べているものと想像される。
(1)ベルヌ条約においては、「映画の著作物」について固定要件を定めるか否かは各国内法に委ねられており、映画著作物の本質的な要件とはいえない。また、日本の著作権法においては、テレビの生放送を「映画の著作物」から除外するために固定要件を定めたにすぎない。だから、常に同じ連続影像が再現できる状態にないとしても、固定要件を満たしていないとはいえない。
(2)「動画=映画」というテーゼが、平成八年一〇月一四日の最高裁判例により否定されたとはいえない。
(3)本件ゲームソフトの製作にあたり編集行為がないとはいえない。
二 前記(1)について
1 「ベルヌ条約第二条(2)項は固定要件を定めるか否かは各国内法に委ねて」いるからといって、「映画の著作物」たる要件として固定要件を定めた日本の著作権法の解釈において、「固定」性の要件を緩やかに解してもかまわないということにはならないし、まして緩やかに解さなければいけないということにはならない。
2 テレビの生放送と録画放送との差異は、実際に前者は上映された時点で初めて具体的な連続影像群が特定されるのに対し、後者は上映される前から上映により再現される具体的な連続影像群が特定されている点にある。より具体例に即していうならば、ひょっこりひょうたん島を生放送で放映する場合、台本と人形を用意してあっても同じ連続影像群を再生できるとは限らないのに対し、録画放送であれば、ビデオテープをテレビ局内の再生機にかければいつでも同じ連続映像を再生できるのである。つまり「生放送を『映画の著作物』から除外するために『固定』性の要件を設けた」ということを、テレビ放送を含む映像表現全体に適用できるように抽象化していえば、「実際に上映したときに初めて具体的な連続影像群が特定されるような映像表現を『映画の著作物』から除外するために『固定』性の要件を設けた」ということができる。ビデオ・ゲームをプレイすることによりモニターに映し出される連続影像群というのは、実際にプレイをしたときにはじめて具体的に特定されるものであるから、「固定」性の要件をもってこれを「映画の著作物」から排除するのは、著作権法第二条三項の立法趣旨ともよく合致するのである。
3 したがって、特定の影像表現が常に同じように再現できるのでなければ、その表現が「物に固定」されているとはいえないことは明らかである(「映画の著作物」たる表現とは、具体的な連続影像群をいうのであって、おびただしい種類の連続影像群を生み出す可能性ないし仕組みをいうのではないことは、「言語の著作物」たる表現が、具体的な文字列をいうのであって、おびただしい種類の文字列を生み出す可能性ないし仕組みをいうのでないのと同様である。)。
三 前記(2)について
1 被告は、準備書面(二)「第三」の(2)において、前記三沢市市勢映画事件高裁判決につき、「映画著作物として完成していない未編集フィルム等の映像であっても、創作性、著作物性が認められるからその著作権は監督として撮影に関わった著作者に帰属する、という判断をしているだけであって、右のいわゆる映像著作物が映画の著作物ではないと積極的に述べているのではない。(前記参加約束していた「映画の著作物」と区別するために「映像」ないし「映像著作物」の語を用いていると考えられるところである。)」と主張する(二三ないし二四頁)。
2 しかしながら、同裁判例においては、「著作権法二九条一項により映画製作者が映画の著作物の著作権を取得するためには、いうまでもなく著作物と認められるに足りる映画が完成することが必要であるから、参加約束のみによつて未だ完成されていない映画について製作者が著作権を取得することはない。」と判示されており、参加約束があったにせよ、「未だ完成されていない映画について製作者が著作権を取得することはない」、すなわち著作権法第二九条一項が適用されないとしているのであって、本件未編集フィルム等については参加約束の範囲外であるから著作権法第二九条一項の適用を受けないとしたのではない。だとすれば、同裁判例において、参加約束があったとしても未完成の映画については著作権法第二九条一項が適用されないとされたのは、未完成の映画が「映画の著作物」に該当しないと判断されたからであると考えるのが素直であり、それゆえ同裁判例において「映像著作物」という用語が用いられたのだと解するのが正しいのである。
3 なお、「本件の場合には、二九条一項の規定を完成された映画に限って適用することで妥当な結論を導きえた」にもかかわらず、「論理構成として『映像著作物』という新たな著作物概念を導入した点についての批判に対して吉田大輔氏は賛同しているのであって、同氏は、前記最高裁判決によって、映画の著作物たりうるためには「編集等を経て完成され」ることが必要となったことに対して、目をつぶり耳をふさいでいるわけではないのである。その上で、同氏は、「映画の著作物」とは別個の「視聴覚著作物」という概念が導入されるのだとすれば、それでもなお「映画の著作物」としての従前の保護を受けるためには、NGフィルム選別、シナリオに従った粗編集、細編集、音づけ等の映画製作過程「を通じて初めて著作者の思想、感情に基づいた一貫した流れのある影像」が表現されていることが必要であるとしているのである。
四 前記(3)について
1 被告は、「ゲームソフトにおいて、影像を選択しこれを組み合わせ、かつそれを連続させることはいわば作品の命であって、このような精神作業を伴わないゲームソフトなどは考えられない」すなわち「本件ゲームソフトの製作に当たり編集行為がないという主張が誤りである」とする。そして、被告の論旨を善解するならば、「プレーヤーの操作に対し、どのように影像を変化させるか、ストーリー性のあるゲームであれば、物語をどのように分岐させあるいは合流させていくのか、ゲームの進行、プレイヤーの習熟の程度などに対応してどのように何度を変化させていくのかその他種々の要素を勘案して全体として一つのまとまりのある著作物たるゲーム」を構成することが編集行為であるといっているようにも見える。
2 しかし、被告らが述べるような「編集行為」というのは、素材である映像
著作物等を「映画の著作物」に昇華させるために加えられる編集行為とは質的に異なるものである。「映画の著作物」は、「公に上映」することによって多数人に対し同一の連続影像群を知覚させて思想又は感情を伝達する著作物類型、表現類型であるから、観覧者ごとに知覚する連続影像群が異なるということがあってはならないのである。したがって、いつ、どこで、誰が、何をしながらその表現を鑑賞しようと同じ連続影像群を知覚できるように、どれとどれの連続影像群を、どの組み合わせで、どの順番で、どの長さで知覚させるかを、一義的に定めること(これこそが、「編集」なのである。)が必要なのである。そのことは、現行著作権法制定時に「映画の著作物」として想定されていたすべての作品類型についていえる話なのである。
3 被告が主張するところの「編集行為」によって構成された「全体として一つのまとまりのある」表現形式というのは、インタラクティブ著作物といった新しい範疇の視聴覚著作物に該当するかどうかはともかく、「映画の著作物」の一つに含ましめるのは相当に無理があるといえる。
第四 被告準備書面(二)の「第四」について
(著作権審議会第一小委員会審議のまとめとの関係)
一 被告は、著作権審議会第一小委員会の審議のまとめ(平成一〇年一二月、乙二四、以下「審議のまとめ」と略称する)を援用して、
(1)審議のまとめが「なお、ゲームソフトの映像については、映画の効果に類似した視覚的又は視聴覚的効果を有するものが増加する傾向にあり、これを映画の著作物に該当するとの判断を示した裁判例も存在することから、その解釈に委ねることとし、現時点では、ゲームソフトについて特段の対応をする必要がないものと考える。」としたことをもって「著作権審議会としても、前記のゲームソフトの映像が映画の著作物に該当するとの判断を示した裁判例を是認し、そのような裁判例の積み重ねが著作法政策としても何らの支障がないことを示すもの」と主張し(被告準備書面(二)二八頁)、
(2)また、審議のまとめが「法は、頒布権(ここでは譲渡及び貸与に関する権利をいう。)を映画の著作物についてのみ認めており、その頒布権は消尽しないものと解されている。」としたことをもって、あたかも映画についての頒布権は消尽しないというのが著作権審議会の結論であるかのごとき印象を与えようとしている。
しかし、この被告の主張等は、審議のまとめを正しく理解したものではない。
(一)「審議のまとめ」の文言上も、(1)の点については、著作権審議会での議論の大勢は、ゲームソフトの映像が映画の著作物になるか否かについてはとりたてて意見を述べず、裁判所等にその判断をゆだねているとみられたという趣旨が読みとれるのみで、被告主張のような著作権審議会の判断を示しているとはとうてい読みとれない。被告引用部分中の「解釈に委ねる」という表現は、ゲームソフトについて上映等の関係では「映画の著作物」とした例もあるが、その頒布権について判断した裁判例は未だなく、審議当時も、これが問題となる本件や本件と同種の訴訟が係属中であるので、今後「裁判所が示す解釈に委ねる」という趣旨である。被告の主張を根拠づけるものではないことは明らかである。
「その解釈に委ねる」という文言を被告は(過去に、ゲームソフトについて消尽しない頒布権を有する「映画の著作物」とする裁判例があるとする誤った理解の下に)、そのような過去の裁判例と同様の判断を著作権審議会が行ったと考えているようである。
しかし、過去の(第三者の)判断と同様の判断を行う場合、「○○の判断に則る」などと表現したり、端的にその判断を表現するのが通常である。「委ねる」という語は第三者の将来の判断に従う場合をいうのである。
したがって、ここにいう「その解釈に委ねる」とは、本まとめが作成されたのちに下される裁判所の判断に従うということであり、より具体的にいうならば、ゲームソフトについて、劇場用映画と同様の消尽しない頒布権を認めるか否かは、本訴訟における裁判所の判断により、この点に関する我が国のルールを定めさせようとしたものである。
したがって、著作権審議会の「まとめ」の文言をもって本訴訟における裁判所の判断を自己に有利に歪めようという被告の主張は、明らかに失当である。
(2)の点については、この審議のまとめに先立つ、平成七年二月の著作権審議会マルチメディア小委員会ワーキンググループ検討結果報告(以下「WG報告」)が「この頒布権は、複製物の所有権をいったん譲渡した後(いわゆるfirstsale後)の再頒布にも及ぶものと理解されている」と書かれているがこの「理解されている」という文言の「理」をはずし、「解されている」として言い直したものにすぎない。WG報告は、そのような「理解」が妥当なものかどうかを検討する導入として、かかる記述をしてしていることは明白であり、審議のまとめも同様である。客観的事実Yニして、学説がこのように「解」してはいないことは、すでに主張したとおりであり、また、「近年では、映画の著作物に消尽しない頒布権が認められているのは劇場用映画の配給という実態を踏まえたものであること等から、ビデ
オソフトや音楽と映像が融合したいわゆるマルチメディアソフトについては、その円滑な流通を図るため、頒布権は消尽するとすべきであるとの意見がある」と審議のまとめ自体も明言するところである。
(二)そもそも、審議のまとめは、「著作物等が一旦頒布された後は当該複製物の流通ルートにおいて譲渡されることが予想されるものであることを考えれば、その後の頒布全てに著作者等の許諾を要することとすれば、流通に混乱を招き、取引の安全を害するおそれがある。」と述べ、また、「頒布のどの段階で頒布権を消尽させるかについては、取引の安全に配慮する必要性が高いこと、頒布権を認めている諸外国ではいわゆるファースト・セール・ドクトリンを採用していること等を踏まえ、頒布権者又はその許諾を得た者が著作物等を譲渡した場合に頒布権は消尽し、当該著作物等の以後の公衆への譲渡については権利は及ばないこととすることが適当である。」と述べているのであり、無制限の頒布権が取引の安全を害することやグローバル・スタンダードに反することを正当に認識しているのであり、この点において被告の主張と著しく異なるものである。
(三)文部省のインターネットサイトで公表されている著作権審議会第一小委員会の議事録要旨によれば、ゲームソフトの映像が映画著作物にあたるか否かという論点についての同委員会の委員の意見として、
「○ 劇場用映画は映画の著作物だがビデオカセットは映画の著作物でないというところまで議論が進むかもしれない。
○ 判例には頒布権に関して映画の著作物であるかどうかが論じられたものはなく、上映権に関して映画かどうかが論じられた判決はある。解釈としてこの分野は映画でこの分野は映画でないというのは難しいのかもしれない。立法論としては上映権と頒布権とで分けてもいいと思う。
○ 映画についての定義そのものはないので、機能的な分類は可能だろうと思う。」(著作権審議会第一小委員会(第六回)議事要旨)
などの意見が示されている。被告主張のような判断が示されているなどとはとうてい言えない状況である。
(四)なお、「審議のまとめ」の背景には、つぎのような問題点がある。
(1)被告も会員である社団法人コンピュータソフトウエア著作権協会は、社団法人コンピュータエンターテインメントソフトウエア協会(CESA)とともに中古ゲームソフト撲滅キャンペーンを推進するなど、本件における被告の法律的立場を積極的に擁護促進している団体であるが、著作権審議会第一小委員会の第六回(平成一〇年五月一九日)委員会で意見を表明し、第八回委員会(平成一〇年七月二八日)で、事務局が頒布権に関する「審議経過のまとめ」を提出した後、されに第一二回委員会で再度意見を述べる機会が与えられ、問題の「審議のまとめ」はこの後に作成されている。これに対して原告や原告の法的立場を支援する業界団体に対しては意見表明の機会は全くあたえられなかった。
(2)著作権審議会第一小委員会には、CESAの理事である紋谷暢男教授、本件と同様の論点が問題となった仙台地方裁判所平成八年(ヨ)第一八〇号著作物頒布禁止等仮処分申立事件(後に申立は取り下げられた)に於いてゲームソフトメーカーの代理人を務めた松田政行弁護士などが委員として名をつらねているが、消費者や流通業者を代表する者はいない。
このように、被告側の強い圧力のもとで第一小委員会が進行していたのであり、それにもかかわらず、裁判所の解釈にゆだねる立場を審議のまとめが明らかにした意義は大きい。
審議のまとめの煮え切らない表現は、これらの圧力グループに文化庁が政治的配慮をした結果にすぎない。もし、文化庁のとりまとめ起草者がゲームソフトにも「映画の著作物」と同様頒布権を認めるべきだと考えていたとしたら端的に「映画の著作物(映像が動きをもって見えるゲームソフトを含む)」とでもすれば足りるのに、それをしていないのである。その意図は明らかというべきである。