原告 株式会社 上昇
被告 株式会社 エニックス
平成一一年二月二五日
被告代理人
弁護士 牧野 利秋
同 濱野 英夫
同 山崎 龍一
同 伊藤 真
東京地方裁判所
民事第四六部B係 御中
『頒布権が認められる映画の著作物か』
『頒布権の限界―――消尽について』
原告の右に関する主張に対して、まとめて反論する。
第一、著作権法二六条の頒布権は消尽しない頒布権である。
わが著作権法二六条は映画の著作物の著作者に対し頒布権を付与しているが、この頒布権は最初の頒布のみならず二次以降の頒布(以下「再頒布」という)についても効力を及ぼす(消尽しない)ものとして規定されていることは明かである。
その理由は次の通りである。
一、(1)多くの立法例を見ても再頒布に効力を及ぼさないものとするときは、その旨の規定を置いている(原告の挙げる諸立法例、わが半導体集積回路の回路配置に関する法律一二条三項参照)。
わが著作権法には映画著作物の頒布権に関しそのような規定が存しない。
(2)WIPO新条約の成立に伴い、これに対応した改正の方向として著作物一般について頒布権を導入することが現時点での課題となっているが、その際消尽原則をどの範囲で認めるかが立法条の検討課題となっている。
その中において現行法上の映画の著作物について規定されている頒布権は消尽しないものであるという立法当局の認識がある(コピライト四三七号 板東久美子「著作権を巡る当面の諸問題」――乙二五号証 一六頁)。
そして、この課題について検討作業を進めていた著作権審議会第一小委員会は、平成一〇年一二月に「審議のまとめ」(乙二四号証)を発表したが、それによると「新たに著作物等一般を対象として設定する頒布権に関しては、消尽の考え方を導入」するが、現行の映画の著作物について認められている頒布権は「消尽しないものと解されて」おり、「頒布権の消尽の有無は取引秩序に重要な影響を与えるものであり、現時点では映画の著作物の頒布権について従来の取り扱いを変更すべき決定的な理由も見いだしがたいところから、消尽の規定を置かず、現行の規定を維持することとするのが適当である」(五、六頁)との方向性を提示している。
二、現行法における頒布権と貸与権に関する規定の構造からも映画著作物に関する頒布権は消尽しないものであることを理解することができる。
すなわち、法二条一項一九号「頒布」の定義によると、頒布とは「複製物を公衆に譲渡し、または貸与すること」。
映画の著作物にあっては、「著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、または貸与することを含むもの」とされている。
いずれにせよ「譲渡」と「貸与」は「頒布」の概念に包摂される概念として規定されている。
そして、貸与行為は複製物が最初の譲渡が行われた後に行われることが一般的であり、したがって貸与権は消尽しないで貸与形態による流通をコントロールすることができる権利であると解されている。
そして、頒布権はこのように、消尽しない貸与権を内包しているのであるから、頒布権はこれも当然消尽しない権利であると解さないと、両者間における合理的関係が保たれないことになる。
この関係は、昭和五九年に貸与権が創設された際、映画の著作物が貸与権の対象から除かれたことに関し、「貸レコード問題を契機として次条の貸与権が創設されたときも、それ以前から映画の著作物については頒布権が認められており、それによって貸ビデオに係る権利者の利益確保はできるということで、貸ビデオについては貸与権の対象とせず、従来通り頒布権で対処することとされました」(甲六号証)との説明によって具体的に明らかにされている。
三、ベルヌ条約(パリ規定)上は、映画の著作物についてのみ頒布権が規定され(一四条(1)(1))、これが再頒布につき消尽するか否かについては明らかにされていない。しかしながら、条約が加盟国における著作者保護の最低限の義務を規定するものであるから、国内法で頒布権が消尽しないものとして扱っても著作者の保護を厚くすることになるので何ら問題はない。
WIPO著作権条約のもとでは、著作物一般について頒布権の規定を義務づけ、この権利が最初の頒布権後に消尽するものとするか否かは国内法に委ねられている(6条(1)(2))(甲二二号証の二 五七頁 木谷雅人発言 参照)。
したがって、前記一、(2)で立法動向として述べた。
一般著作物に関する頒布権―――消尽する
映画の著作物に関する頒布権――消尽しない
としてもこの条約に抵触する所はない。
第二、本件ゲームソフトは頒布権が認められる映画の著作物である。
一、映画著作物に関する頒布権は、劇場用映画のフィルム配給という慣行を立法の動機として設けられたものであるから、ビデオソフトやゲームソフトのように転々と譲渡する形態のものはたとえ映画の著作物に該当してもこれについては消尽しない頒布権を認めるべきではないとの考えがあり、原告もその旨を主張している。
しかしながら、
(一)たとえ立法の動機はそうであったとしても、映画著作物に頒布権が規定されている現行著作権法制定当時、映画の著作物としては従来の劇場用映画の他にビデオ・ソフト等も含める意図のもとに二条三項の映画の定義を行い、そしてこれについて除外する旨を規定することなく二六条において映画著作者に対し消尽しない頒布権を与えているのであるから、頒布権をフィルム配給のみに限定することは解釈として許されないというべきである(乙一四号証の二 一七から一八頁 参照)。
(二)著作権法二条一項二〇号「頒布」の定義によると、「頒布」とはまず「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」であるが、つぎに映画の著作物については複製物を直接公衆に譲渡等するのほか「著作物を公衆に提示することを目的として映画の著作物の複製物を譲渡等すること」も含まれるものとして定義されている。
後者は正にフィルム配給等の態様による流通がこれに該当するであろう。
これに対して前者は複製物を公衆、すなわち不特定の者もしくは「特定かつ多数」の者に対して譲渡等する事を意味しているから、これを映画著作物の複製物についていうならば、フィルム配給の態様による流通以外の譲渡流通を予定した頒布を意味しているものというべきである。
このように、現行著作権法に規定のもとにおいては、本件ゲームソフトを含め映画の著作物については配給の態様による流通以外の複製物の流通も含めて頒布権の規定を構成しているものと考えるべきことは疑いがない。
(三)(1)劇場用映画のフィルム配給の慣行について消尽しない頒布権を認める実質的根拠は映画の著作者に興業収益を確保させるため映画著作物の上映場所や時期等を決定させることについて著作者の利益の確保をはかったからにほかならない。
著作者に、映画著作物の複製物の流通についてどの範囲まで支配を及ぼさせるかということは、著作者と流通取引者との間における利益調整の問題にほかならず、すぐれて立法政策の問題である。
劇場用フィルムに限らずその他のパッケージ型複製物の流通についてもそこと著作者の保護をはかるべき法的利益が認められるならば、著作者がこれに関して何らかの対価を得られる道があって然るべきである(甲一一号法の二 一〇頁 斉藤発言 参照)。
(2)ところで、頒布の対象となる複製物は、単なる有体物ではなく、それを媒体とした著作物が含まれている者である。むしろ後者こそが本体的に重要なのであって前者は後者を支持するための手段に過ぎない(乙二六号証 斉藤博『著作物のデジタル送信と「頒布権」』ジュリスト一〇九二号三八頁は頒布権の様態を無体物たる著作物そのものであるという)。
著作物は、著作者の精神的給付行為の所産であって、その創作的価値は著作者の個性的表現に由来する。
個性的創作行為は余人による代替性の全くないものであって(この点こそがBBS事件判決に関連して後述するように特許発明と異なるところである)、その成果は特別な尊重を要求する(乙二七号証「著作権法の理論」H.フープマン 久々湊伸一訳三三五頁 訳者あとがき)。
このような著作物に明ける個性的表現は、その媒体がどのような流通におかれようと常に保護せられるべき可能性を持ち続ける。そのため法が右の保護を実現させるべきあると考えたとき、保護の可能性は実定法上の権利として発現することになる。
たとえば、著作物の複製物は、どのような流通の段階、状態にあっても常に著作者人格権の紐帯を伴っているし、いったん複製権が行使され流通に置かれた後においても、公衆性のある著作物の享受すなわち利用が行われるときは、上演・演奏権、公衆送信権、口述権、上映権頒布権、貸与権等として発現するのである。
映画の著作物における頒布権もそうした公衆性のある利用の一形態に関する権利にほかならない。
映画の著作物から固定制を除外すれば(ベルヌ条約二条二項は固定制を著作物要件とするか否かは国内法に委ねている)、映像の放送・送信に関する権利と同列の映像伝達に関する権利に他ならないことになる。
原告は、複製物が公衆へ譲渡されることが予定されている映画著作物の場合に頒布権を認めることは、他の著作物保護範囲と比べ均衡を失する旨主張するが、右に述べたとおり、映画の著作物の頒布権は、映像の伝達に関する権利を並列するものであって、これだけが他の著作物に比べてその保護範囲が突出しているわけではない。
右の様な特質を有する著作物の複製物について、媒体である有体物の側面のみに着目して、その流通保護の名の下に著作者の利益を切り捨てることの不当性は明白である。
(3)パッケージ形態の映画著作物であっても、その享受の仕方は「上映」であることに変わりはない。
この形態の映画著作物の複製物は、最終的にはユーザーの手もとに渡ってそこで上映されるのが通常であろう。
そのような流通及び利用は著作者が当初の流通の際予定していたところであるといってよい。
しかしながら、いったんユーザーの手もとに渡った複製物が、再び販売業者のもとに還流され再び上映に供されるというようなことは予定されていなかった著作物の利用であって、このようなことが広く行われるときは、一個の複製物が幾重にも利用されることになり、これに対して著作者が新たな利益の享受にあずかることがなければ不当に利益が害されることになるものといわなければならない。
これは正に貸与権が創設された当時の著作者の利益状況と全く同じである。
すなわち、いったん流通に置かれた著作物複製物が、レンタルという形態の流通によって幾重にも著作物が利用されることにより、当初の流通の際予定された著作物の利用の範囲を超えた利用が行われ、そのために著作者の利益が不当に害されるということが貸与権創設の理由であった。
中古ソフト販売は、貸与の形態にはよらないが、これにより著作者が当初予定した著作物利用の範囲を超えた利用が行われ、そのために著作者の利益が害されるという利益状況は貸与の場合と全く同一である。
このような状況において、著作者を保護するためには流通型の映画著作物についても消尽しない頒布権を認めるべきであり、ここにその実質的な根拠があるということができる。
なお、著作者の利益と流通保護との関係については、第三、の消尽原則に関連して再論する。
二、つぎに、頒布権が認められる映画著作物は、上映を前提とした劇場用映画のみに限定すべきであるという論議がある。
しかしながら、パッケージ形態の映画著作物であってもその享受の仕方は「上映」にほかならない(法二条一項一九号 参照)。
問題はその上映の態様にあると思われる。
(一)劇場用映画の場合には「公の上映」が映画館に会集した公衆としての視聴者に対して行われる。
これに対してゲームソフトを含むパッケージ形態の映画の場合には、つぎのようにいろいろである。
(1)個々のユーザーにより私的空間において上映される。
(2)ゲームセンターや喫茶店のような公衆を相手にした施設で不特定多数の者に対し、順次個々に上映される(乙二九号 証)。
(3)航空機、ホテル、アミューズメント施設などで会集したまたは各室ごとの不特定多数の客に対して上映される(乙三〇号 証)。
これらの上映態様のうち、(2)(3)は明らかに「公の上映」に当たるものということができる。
これらと映画館における上映との間に映画著作物の頒布権を考える上でどれほどの本質的な差があるというのであろうか。
上映技術の進歩と上映機会の多様化は「公の上映」の態様にも多様化をもたらしているのが現実である。
「公の上映」を映画館における上映にのみ限定して考えるのは現実から遊離した論議であるといわざるを得ない。
上映を前提として頒布権を考えるという論者は、要するに映画著作物の頒布権を劇場用フィルムの配給権に限定したいという目的を先立てて論じているものといえるが、そうであるならば、これに対する反論はすでに一、においてなしたとおりである。
(二)なお、論者の中には、映画著作物の頒布権を、上映権侵害の予備的幇助的行為を押さえることを意図しているものとする説がある(田村善之 甲一五号証の二 一三八頁)。
しかしながらそのように限定して解すべき実定法上の根拠はないし、前述のように、上映権侵害はパッケージ形態をもって流通する映画著作物においても(2)(3)の場合には考えられるのであるから、これらの形態における映画著作物についても頒布権を否定する理由とはならない。
第三、一般原則としての消尽論ないしファーストセール・ドクトリンは、わが著作権法には適用すべきではない。
一、 原告は、これらの原則を「知的財産法」に通じる一般原則として、わが著作権法にも適用すべきである旨主張する。
しかしながら「知的財産法」なる名称で総括されるものの中にもそれぞれ異なった特質の法分野が含まれており、とくに、著作権法と特許法とでは特質が大いに異なっている(著作権の権利の特異性について 乙二七号証 半田正夫「著作権法の研究」三項 参照)。
二、 著作権法において、権利書と利用者との関係につき調整を要する事柄に関しては、同法第二章第三節第五款において「著作権の制限」として個々に具体的に規定されている。
これに加えて更に権利を制限する必要がある場合は、立法的に明文をもって解決していくのがベルヌ同盟体制に加盟しているわが著作権法の立場であるというべきであり、一般法原則をもって著作権に制限を加えるようなことは、内国民待遇の基準性を不明にすることからも厳に慎まれるところである。
三、 原告は、BBS平行輸入事件最高裁判決を引用して、そこにおける特許製品に関する消尽論を映画著作物の頒布権に敷衍しようするので、以下これについて反論を行う。
(一) 同裁判は、特許製品の譲渡等につき特許権が国内消尽する理由としてつぎに点をあげる。
(1) 特許法による発明の保護は、社会公共の利益との調和のもとに実現されるべきである。
(2) 一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有したすべての権利を取得するものである。特許製品が市場で流通におかれる場合にも、譲受人が目的物につき特許権者の権利行使を離れて自由に業として使用し、再譲渡等をすることができる権利を取得することを前提として取引行為が行われるものであって、仮に譲渡等を行うつど特許権者の許諾を要するすることになれば商品の自由な流通は阻害され、特許製品に円滑な流通が妨げられる。
(3) 他方特許権者は、特許製品を譲渡するに当たって発明の公開の対価を含めた譲渡代金を取得するものであるから、特許権者が流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しない。
(二) 特許権においては、特許製品の譲渡行為も特許発明の実施の一態様とされていながら(同法二条三項一、三号)、特許権者または適法な製造・販売の権原を有する者から特許製品を購入した者がさらにこれを転売してもその転売行為は特許権侵害とはならないということが当然のこととされてきた(これを認めた最初の判例―大審判大元・一〇・五)。
このことを説明するためにいろいろな理由があげられているが、前記BBS最判は前記の各点をその理由としてあげたものである。
(三) しかしながら、同最判が特許法について述べたとろは、著作権法については必ずしも当てはまらない。
以下にこれについて述べる。
(1) 最初に、判旨理由の(1)で述べる社会公共の利益との調和であるが、理念としては両法において共通であるとしても、具体的な現われ方としては同一ではない。
まず、両法の目的に違いがある。
特許法の目的(同法一条)
発明の保護および利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与すること著作権法の目的(同法一条)
著作物…に関し著作者の権利…を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与すること前者においては、産業、すなわち物質の生産という社会の主として物質面における発達が究極の目的とされているのに対し後者においては文化、すなわち社会の主として精神面における発展が究極の目的とされているのである。
このような両法における目的の相違は、両分野において成立する権利の効力範囲・消長においても著しい相違をもたらすことになる。
(2) つぎに、特許発明が用いられた特許製品と思想感情の創作的表現である著作物の複製物の流通面における権利の効力範囲・消長について相違をみることにする。
1.特許発明は、物の発明や物の生産方法の発明の場合は勿論、いわゆる単純方法の場合でもその方法が用いられる物と何らかの態様において関わっている。かように特許発明は物をを離れては成り立たない。
特許発明としての技術的思想は、物の改良や新機能の付加等として物の効用を高めるが、このような発明が施された特許製品を購入する需要者にとっては、雇用の高められた物自体が重要なのであって、そこに施されている技術的思想の内容や発明者の思想の個人性などは重要視しないのが一般であるといえる。
つまり、発明の効用は物自体に転化されているので、その効用の高められた物を購入しその所有権を手にした者が、以後その物を自由に使用し、収益、処分しうるものと考えるのはごく当然のことといえる。
その所有権の享受にあたって、特許権者からの権利行使があらためて行われるというようなことは、特許製品の所有権者にとって予想しないことと思われるであろう。
このような法常識が国内消尽の基礎にあるものということができ、その限りにおいて前記最判の述べる(2)の判旨は特許製品については首肯できる。
2. しかしながら、著作物の複製物については事情が異なる。
著作物の複製物も、確かに外観上は「物」に違いない。
しかしながら、著作物の場合には需要者にとって重要なのは媒体としての物自体ではなく、その媒体によって支持されている著作物の思想・感情の創作的表現すなわち著作物なのである。
物としての媒体は著作物を支持するための手段にすぎないのである。
本件ゲームソフトについてみても、商品としてのパッケージを購入する者は、映画著作物である本件ゲームソフトを楽しむために購入するのであって、CD ROMの物としての効用を求めて購入するわけではない。
そして、このような著作物の複製物を購入し、その所有権を手にした者が、これによって著作権まで入手したと考えることは、むしろ法常識に反するといってよい。
著作物は、著作者の思想・感情の創作的表現物という個人的精神の所産である。
そこには著作者の個性そのものが表れている。
特許における技術的思想は合理的精神であるから個人性などは表面に表れないが、著作物の場合はその創作的表現は正に個性そのものであるといってよい。
このような著作物の特徴は、それが複製物の形態に収められて流通にいかれた後も、新たな利用形態が行われるときは常に著作者の保護が要請されることになる。かくして、複製物がいったん流通に置かれた後においても、それが私的利用を越え、公衆性を持って利用されるときには、あらためて複製権、上演権、演奏権、公衆送信権、口述権、上映権、頒布権、貸与権等が働くことになるのである。
したがって、著作物の複製物の譲渡については、前記最判の判旨(2)でいうような権利移転や自由な流通取引ということはこれを当てはめることはできないのである。
3.なお、ここで付言すべきことは、流通保護をいうとき、まず念頭におかれがちなのは、個人的需要者の保護ということであろう。
しかしながら、著作物の複製物の流通後における各支分機能は、いずれも私的な利用には及ばず、公衆性のある利用についてのみ及ぶのである。ことに、本件ゲームソフトの中古品頒布行為の対象者は業者であって、その取扱う複製品について著作権が伴っていることは熟知している者である。
しかも本件ゲームソフトの包装には中古販売禁止の旨が表示されて流通に置かれているのである。
このような複製物の流通取引者の保護のために著作者の利益が犠牲にされることは、きわめて公正を欠くとといわざるをえない。
(3) 最後に二重利得の点についてみることにする。
1. 特許製品については、いったん適法に流通に置かれた後においては特許権の効力は及ばないものとする流通の実態が社会的に存在し、このよな実態は法解釈においても追認されていることは前述のとおりである。そのような実態のもとにおいて、特許権者が発明公開の対価たる実施料を徴収する機会は最初の販売の際しかなく、その際における特許製品の市場販売価格も、最初にして最後の徴収対価を含めた価格が形成されることになるであろう。
そして、特許発明が施されたことによる特許製品は、付加価値を有するが故に、特許製品が最初に市場に置かれた際、代替の同種商品に比して優位な取引が行われ、これによりもたらされた代価のうちから、特許権者の取り分が特許権者に配分されることになる。
それによって特許権者は投下資本のすべての回収を図る機会が与えられ、そのような行動が期待されるわけである。したがって、再販売の際に重ねて権利を行使して実施料を徴収することは二重利得になるということも特許製品についてはいえることになろう。
2.しかしながら著作物についてはこの論理もあてはまらない。
著作物の複製物について、最初の販売の後においても著作権の効力が及ぶのであり、そのよな実定法上の規定は著作物の特質に基づくものであることは前述のとおりである。
そして、複製物を用いた上演・頒布その他の新たな利用形態は、それぞれ著作者の利益を配慮すべき新たな利益、状況に基づいていることなのであり、(前述第二、(三)参照)、これを認める規定の実質的根拠も充分に存在するのである。
著作物の複製物を最初の流通に置く段階において、以後におけるすべての著作物の利用を予測することは実際上極めて困難であり、複製物を最初に販売した代価のうちから創作の対価を洩れなく取得しることは不可能なことである。
そこで、前述にような著作権法で規定されている支分権を行使する際に、あらためて権利行使として対価を徴収することは合理性があり、これをもって二重利得と認めるべきものではない。
(四)以下のとおり、BBS最判の揚げる消尽論の理由は著作物の複製物について妥当するものでなく、その論理を映画の頒布権の消尽に適用することはできないものというべきである。
第四、被告は「中古ソフト撲滅」をはかるものではない。
一、 原告は、被告らゲームソフトメーカー等が「中古ソフト撲滅」をはかっている旨激越な論旨を述べるので一言これについて反論を加えておく。
被告は、中古ソフトが市場に存在してはいけないといっているのでなく、頒布権があるのであるから、権利者の許諾を受けて取引を行ってほしいといっているだけである。これが著作権法の秩序に適ったことであろう。
現に被告は、一部納得した中古ゲーム業者に対し契約をもって中古の許諾を与えている。
二、 勿論、許諾の際には、あらためて許諾料の支払いを受けることになるが、これが二重利得になるものではなく、実質的な法的根拠のあることは前記第二、一、(三)ならびに第三、三、(三)において述べたとおりである。
本件ゲームソフトの製作に当たっては、左のとおり劇場用映画に勝るとも劣らない製作費用が投入され、また創作者が参加している。
目録一のゲームソフト
製作費 約一三億五九〇〇万円(宣伝費込)
人 員 企画担当者、ディレクター、各種グラフィックス担当 者、
各種プログラマー、デバグ担当者等一一四名
目録二のゲームソフト
製作費 約六億五〇〇〇万円(宣伝費込)
人 員 右同様各担当者 五八名
そして、このように投下された資本は、複製物が最初に販売されてユーザー(遊技者かつ視聴者)の手に渡るまでの数量と販売価格による販売代価のうちから回収すべく予定されている。
中古ゲームソフトの販売というような、不特定多数のユーザーを幾重にも経由する利用形態の流通は予定されていないし、代価設定予測困難でもある。
しかも中古品ではあっても性能上はほとんど劣化がなく、新品と同一性能をもったものが廉価で取引されるため、これによって新品のゲームソフトの売れ行きに甚大な影響が出ているというのが現状である。この問題は経済的には同一市場における中古廉価品の出現と、それによる新品の圧迫という問題として現れてはいるが、その根底には、著作物の流通過程における著作者の利益侵害という著作権法上の法益の問題が横たわっているのである。
このような観点から中古ソフト問題を考えるとき、それは正に映画著作物の頒布権侵害問題として解決すべき事柄であるというべきである。